20020805

南半球で思ったこと
●日本人男性の存在感●

須磨 良人(26歳)


 白く長い雲のたなびく地、アオテアロア――これは英国からの移民が入植する以前より先住民マオリ族の国として歴史を歩んできた現ニュージーランドのもうひとつの名称である。
 日本の70%程度の総面積の国土に人口約380万人(静岡県の人口とほぼ同じ)しかおらず、手つかずの壮大な自然や見渡すかぎりの牧場が広がる「のどかな国」である(ちなみに羊の数のほうが人間よりも圧倒的に多い……)。
 ニュージーランドは大きく北島と南島に分かれている。観光パンフに見られるようなフィヨルド地形やコバルトブルーに輝く湖、雄大な氷山といった風景は、おおむね南島にのみ存在する。北島には首都ウェリントン、最大都市オークランドやロトルアなどの温泉リゾートがあり、より人工化された印象を受ける。
 私がついこの間までほぼ1年間暮らしたのは国内随一の都市オークランドである。隣接都市を含めて100万人強が生活する都会である。林立する高層ビル、絶え間ない交通渋滞と排気ガスに頭が痛くなる。また、近年においては、アジアを中心とした移民が増加しており、シティ(町の中心部)には中国語、ハングル、日本語の表記や看板がいたるところにあふれている。コリアン経営のスシバーでサーモン&アボカド巻きを食し、チャイニーズのネットカフェで時間をつぶし、バスに乗れば、運転手から乗客まで北京語か広東語でまくしたて合っている……といった具合いだ。しばしば、「白人も住んでいるアジアの一都市」にいるような錯覚さえ覚えることがある。

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 それだけ雑多な構成が狭い空間に密集していれば、人種・国籍を超えた若者同士の交流も盛んなわけで、自国語なまりのたどたどしい英語で話に花を咲かせている光景を町じゅうで目にする。
 そうした多人種的環境は恋愛関係にも当然反映されてくる。メインストリートの「クイーンストリート」を歩けば、白人系&アジア人、中国人(韓国人)&日本人のカップルがそこかしこでくっつき合っている。
 周知のとおり、なかでも日本人の女の子はいちばんよくモテる。そして日本人の男の子はいちばんモテない……。最近では、韓国人や中国人の男の子にとって、日本人の彼女をつくることがある種のステイタスになっているらしく、その直球的でしぶといアタックぶりには日本人の男は足元にも及ばない。その成果あってか、チャイニーズかコリアンを彼氏にもつ日本人の女の子が増えている。 ところが、ここにいる日本人の女の子にとっての興味は依然として、いわゆる欧米系(以下、便宜上ガイジン)のようだ。「見た目はともかく、とにかくガイジンと結婚したい!」と切望する日本人女性が少なくない。
 個人の恋愛関係は、それはそれでいいのだ。しかし、全体として見たとき、「なぜそれほどまでにガイジンの種(タネ)にへつらうのか? それほどまでに日本人男の種は朽ちてしまったのか?」と考え込み、1週間くらい眠れなくなってしまうほどである。

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 ジャパニーズ・ボーイが外国人女性からあまり見向きされないのは肉体的な差も要因としてあるかもしれない。だがそれ以前に、自己をしっかりと主張したり、守るべきものを頑として守れない覇気のない若い男が増殖しているように思えてならないのである。
 日本という国に目を転ずれば、戦後一貫して米国にへつらい続けている。不快極まりない広大な米軍基地がのさばり、好き放題を尽くしている現実に屈辱感すらもたない若い連中が多すぎるのではないか。
 そしてここ最近、米国へのシッポ振りはますます度合いを増してきている。まさに「カマ掘られて喜こんどるナヨナヨ国家」なのである!
 このままではわれわれの種は絶滅してまうのではないかという危ぐを抱かざるをえない。
 多民族の環境の中で生活し、小さな日本人コミュニティを客観的に観察していると、その行動パターンを今日の日本の姿そのものにコジツケたくなる悪いくせがついてしまったのかもしれない。
 しかし、日本人の女の子がガイジン男性とペタペタとくっつき、その一方で日本人男の存在感がますます薄くなっていくありさまを目の当たりにしていると、どうしてもヘソが曲がってしまうのであった。
 寂しさゆえの嫉妬(しっと)かと問われればそれまでだが、そこからものごとを深く考えていく機会や原動力になることだって、たまにはあるのである! 日本人の若い男性諸氏はもっと嫉妬しなければならない。そして日本の現状に怒らなければならない。己のテリトリーは己で守るというぐらいの覇気がないと、われわれの血は消滅していくぞ。