20020615

教育現場は今…
教員と子供の「生きる力」奪う
新要領はとんでもない代物
教員たちもマジ切れ寸前

中学校教員 北川 祐介


 今年度から、「ゆとりの中で生きる力をはぐくむ」とうたわれた新学習指導要領が完全実施されていますが、その裏で、全国の教員たちの「ゆとり」と「生きる力」は激しく奪われています。「週休二日だから楽だろう」などとはとんでもない話で、平日の労働密度が濃くなり、皆「忙しい、疲れる」を連発しています。
 新学習指導要領の特徴である「総合的な学習の時間」の新設、授業時数の削減と選択授業の拡大、絶対評価など、どれをとっても現在の環境の下では大変な労働強化になるものばかりです。
 これまでもそうでしたが、これからはよりいっそう私たち教員は、まじめにやって自分の命を削るか、うまく手を抜いて生きていくしかありません。ろくにカネも出さない、人員も配置しないでこれだけのことをやらせようというのだから、本来なら闘争が起こってもいいぐらいなのですが……。
 それでも新学習指導要領が本当に子供たちや国民のためになる、希望のもてるものならば、何とかガマンしてがんばろうという気にもなるかもしれません。しかし、この指導要領はとんでもない代物で、私の周囲の教員からもまったく歓迎されていません。
 私は、中学校で国語を教えています。「基礎・基本を確実に」などといいながら授業時数は減らされ、教科書は中身が薄っぺらになり、これでは日本語のできない日本人が急増するな、と思うほどです。そのくせ選択授業は拡大されるなど、矛盾もいいところです。
 そんな指導要領が推進されているのは、それがグローバル化時代に対応した財界の人材育成策に沿ったものだからです。ある大学教授が、「文部科学省の狙いは、競争を激化させ、一握りのエリートを手厚く育成する。そのエリートには終身雇用や社会保障などはこれまで通りにする。そうでない大部分は、『負け組』として早くあきらめてもらい、派遣や契約労働などの非正規雇用や社会保障なしという流動的な環境でもそれなりに『生きる力』を身につけさせる。そうやって教育を含む社会全体のコストダウンを行うことだ」と指摘していました。まさに、その通りだと思います。

休憩も労基法通り与えろ
 また、学習指導要領だけでなく、教員の勤務形態そのものにも攻撃がかけられています。たとえば勤務時間です。現状では、教員は子供が学校にいる間は基本的に休憩が取れません。普通の労働者は昼休みを取りますが、私たちは給食指導などをしています。 したがって、労働基準法から見ればおかしいのですが、やむを得ず八時間連続勤務したあと休憩(事実上の勤務終了)というような、変則勤務を行ってきました。そのほかにも、日曜日や夏休みなど学校に子供がいないときは、学校外での勤務や研修が行われてきました。これらは教員という仕事の特性からくるものです。
 ところがこうしたことが次々とやり玉にあがり、ただひたすら教員を長時間学校に縛りつけ、痛めつけようという動きが各地で起こっています。「学校もリストラだ、競争だ、コストダウンだ」という財界の声が聞こえてくるようです。
 そもそも教員には、給料の4%の調整額と引き換えに、労基法37条は適用除外されています。つまり建前上、残業は基本的にないことになっていて、どれだけ残業しても残業手当は一切つきません。すべてサービス残業なのです。そして教員をやってみれば分かりますが、学校は残業なしではやっていけないどころか、自宅にまで仕事を持ち帰りやっています。
 今の教育は、教員のただ働きで成り立っている部分が非常に大きいのが実態です。文部科学省が勤務時間をどうこういうなら、まずそこをきっちりしてもらいたいし、休憩も労基法通り与えろと言いたい。
 教員と教育への攻撃は、現在と将来の労働者全体への攻撃です。まじめでおとなしい先生たちも、「なめんなよ」とマジ切れする日がきっと来るだろうと思います。