20020305

労働時間は15〜16時間

親会社の管理さらに厳しく

自営運送業者 中山 陽治


 私は自営の運送業者(いわゆる宅配便運転手)で、大手の下請けをしています。
 昔から運送業は代表的な前近代的産業といわれてきました。重労働、長時間、危険、天候や交通渋滞に振り回され、お客からの無法な要求に苦しめられる。現場肉体労働と接客サービス業とのしんどいところを合わせたような仕事です。
 昨今の情勢ですから、私たちの現場も今までとは比べものにならないほど締め付けが厳しくなってきています。5年くらい前と比較してみますと、まず、朝の始業時間が2時間から2時間半ほど早くなりました。終わりはほとんど変わりません。平均労働時間は13〜14時間だったものが、いまは15〜16時間くらいになっています。
 ある女性の同業者は、始業が早くなったので、小学生の子供を「寝過ごしたらあかんよ」と言って表のドアを開けたまま家を出てくるが、本当に遅れていないか心配だとこぼしていました。これ以上働くのはもう無理だというのが現実です。
 以前は下請けは比較的自分たちのペースで仕事の段取りを組むことができたのに、いまはすべてにわたって正社員並みの行動を要求されます。朝礼も以前はなかったのに、今は毎日朝の6時50分に行われています。そこでは過去数日間に各業者が犯した単純ミスをすべて公表して、みんなの前で理由を説明したり謝罪させられます。管理職としてはミスを参考にして労働品質を高めてもらおうという狙いなのでしょうが、われわれの側からすれば「いびり」「管理職の点数稼ぎ」に見えます。誰も口に出しては言いませんが、裏に回ると「毎朝いやでしょうがない」とぼやいています。
 配達時の処理も、預け配達は一切禁止、サインの場合はフルネームで、必ず二度回りの徹底、伝票に不適合品についての事情の詳しい記入、戸口対応はマニュアル化されています。そして、荷札のバーコードをいちいち端末機でこすってデータをリアルタイム送信しなければなりません。忘れると翌日にしかられます。
 時間指定やクール便、代引き商品のカード決済なども、相次いで導入された新サービスです。時間あたりの配達個数は昔は二十個以上が可能でしたが、今では十五個くらいに落ちています。時間賃金が下がったということです。
 そうして極端なのが、下請け単価の切り下げです。5年前と比べて15%くらい下がりました。つい最近も10円の切り下げが通告されました。「いやな人は辞めてもらって結構です」というのが結びのお言葉です。
 仕事の形態が時とともに変わるのはやむをえない面もあるでしょうが、労働の負荷が強まるにつれ労働条件や賃金がそのままストレートに悪化することが問題なのです。
 みんな本気でいつ辞めるかというタイミングを考えています。これほど職のない時代なのに、「こんなところにいつまでもいてもなあ」という気分になっているのです。昔、三池争議の時に「去るも地獄、残るも地獄」という言葉がありましたが、いつの時代も同じだなあと考えてしまいます。

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 話題は変わりますが、運送業界は今までも基幹産業の一角だったと思いますが、これからは産業の中に占める位置ははっきり拡大していきます。製造業の国外流出の穴を埋めるのは一般的な第3次産業(サービス業)ということではなくて、国民の消費需要を満たすために「生産」することから「運んでくる」ことに移行しつつあるというのが日本の経済の流れです。またいわゆるIT(情報技術)化は流通業の裏付けがなければ単なる仮想社会にしかなりませんから、IT産業の根幹でもあるのです。
 そこから、この業界で生き残り成長しようとすれば戦略的構想が必要ということになってきます。米国の大手流通業者が世界を制覇しようとたくらみ、それに対して日本の大手が「輸送品質」の向上、IT化の急速な推進で対抗しようとしています。すでに日本の業者の中でも勝ち組、負け組の分離が起こっています。
 つまり、こういうことのとばっちりがわれわれにくるのです。私が本当に考えなくてはならないと思っていることは、単に不況で締め付けがきつくなってこんなに大変なんだ、ということではないということです。「世界経済の構造変化、その中で勝ち残ること」というような考え方の中にこそ、われわれの現実の生活を破壊する元凶があるのだということです。
 私は個人的には勝ち残らなくてもいいと思っていますが、それを自由競争社会のアンチテーゼとして思想化するようなことをする余裕も蓄積もありません。この文章も昨日23時まで仕事をしていて、少し寝て3時に起きて書いています。本を読む余裕などありはしないのです。
 日本の労働運動界にはこういうことをまともに取り上げて国民を導くような「骨太さ」(いやな言葉ですが)はなくなったんでしょうか。