20011025

映画 監督・四宮 浩
「神の子たち」

ゴミの山に生きる家族描く


 衝撃的なシーンから、このドキュメンタリーは始まる。二〇〇〇年七月、フィリピン・ケソン市のスモーキーバレーと呼ばれるゴミ集積所が、長雨のために大崩落した。救出作業は困難をきわめ、現場から運び出される遺体が次々と映し出される。死者は千人を超える悲惨な事故だった。
 政府は事故の再発を恐れて、ゴミの搬入をストップしてしまう。資源ゴミを拾って生計をたてていた三千五百世帯の生活は、たちまち困窮した。彼らは資源ゴミ拾いをしている限り、貧しいけれども生きていける。その唯一の生活手段を失い、危機的状況に追い込まれた人びとの日常生活を、カメラは追っていく。
 食べるものがなくなり、三日も何も食べない状況も映し出される。十二歳の女の子ニーニャは、ゴミ山に植えたイモを掘り出して食べる。子供たちは「泥棒するくらいだったら飢え死にしたほうがまし」と、強い自尊心をもって生きている。
 スモーキーバレーは生活環境も劣悪で、先天性障害をもつ子供たちがたくさん生まれている。五歳になるアレックス君は、頭が異常に大きくなる水頭症で、寝たきりの生活をしている。兄弟思いのやさしい子だ。彼らの願いはとてもささやかだ。毎日食べるものに不自由しないこと、学校に行くこと…。
大人たちは国会前で「生活ができない」「ゴミ捨て場を再開しろ」とデモで訴える。家族を守り、生き続けるためにだれもが必死だった。
 そして四カ月後、ゴミ捨て場は再開された。トラックでゴミが運び込まれるようになり、人びとに笑顔と活気が戻った。子供たちも再び資源ゴミを拾う生活を始めた…。

 四宮監督は前作「スカベンジャー」でマニラのスモーキーマウンテンで資源ゴミを拾って生きる子供たちの姿を、全世界に紹介した。本作品はその続編ともいえる。「スカベンジャー」発表から約六年がたったが、フィリピン最下層の生活は相変わらず貧しい。
 この作品から何を感じるかは、人それぞれだろう。日本と比べてみた外見上の「貧困や衛生状態の悪さ」に目を奪われる人もいるだろう。しかし、彼らと対等の立場に立ってみれば、貧富の格差の拡大、職を奪われれば食えなくなる現実など、日本でも同じものが見えてくる。 
 ドキュメンタリーを撮るには「客観性」が必要なのだろうか。映画とは「楽しいもの」と思っていた私につきつけられた映像は、あまりにもショッキングだ。泥まみれの死体、血を流しながら死んでいく赤ちゃん。肉親であれば見るにたえないシーンだ。できれば目にしたくない非業の死を、「これでもか」と映し出す迫力に、圧倒される。
 同じアジアの一角で、つましく生きる家族たち。私たちに彼らの日常を知る手段は限られている。フィリピンのスラムにこだわり続ける四宮監督の誠意に、心から敬意を表したい。 (U)

十一月六日から三十日まで東京都写真美術館ホールで上映
自主上映歓迎
連絡先電話 03・3354・3869

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