20011005

中国で遭遇した「オリンピック北京開催」決定(4)

光る農村

今宮 浪虎


 やっと幸せに眠れる状況になったころ、通路のいすに座っていた父ちゃんが突然立ち上がった。
 「光った! ほら、あそこ、光ってる!」子供たちを起こす。なぜだ? 遠くの真っ暗な農村が発光している! なぜなんだ? 僕の脳はまだ・白酒〉に侵されている。
 隣の眼鏡のにーちゃんが起きて説明を始めた。
 「北京オリンピックが決まったからだ」。クールに話す。
 「おー!」僕は歓声を上げてしまった! 鳥肌が立った。彼はさっき携帯でIOC会議の結果を確認していたのだ。少しの間、言葉が出なかった。その何秒かの間に僕の頭の中にいろいろな風景、友達、そして北京にいたころの自分がリアルによみがえってきた。
 改革路線まっしぐらの北京、人民元と外貨兌換(だかん)券が流通していた北京。今はほとんど見なくなった黄色の軽のバンタクシー〈面的車〉や屋台でシシカバブ〈羊肉串〉を焼く新疆(しんきょう)ウイグル人。そして今回の出張で五年ぶりに訪れた今の北京。あまりにも発展のスピードが速い北京。僕は今回の訪問で道に迷ってしまったのだ。
 クールな眼鏡のにーちゃん、子供のために服務員と口論になった父ちゃんの間に入り僕は思いっ切り握手をした。「了不起、中国人!」(君ら中国人、すごいな!)
 僕は自分が日本人であること、大阪からやってきたこと、学生時代に北京大学で生活していたこと、そして、そのころ北京大学で知り合った中国東北出身の娘と今年結婚しようとしていること、北京は僕の第二のふるさとであることをしゃべりまくった。
 体の〈白酒〉は完全に抜け、ひたすら僕を見るこの瞬間のすべての主役たちに「ほんとに、ほんとにおめでとう!」という気持ちを伝えた。外国人として、〈朋友〉として、湧いてくるそのままの気持ちをみんなに伝えた。気がつくと僕はそこら辺にいる主役たちと抱き合い、涙していた。
 「おめでとう!」
 「ありがとう!」
 北京オリンピックは中国オリンピックなのだ。中国で開かれるオリンピックなのだ。
 「張さん、ビール買いに行こう! とにかくみんなで乾杯や!」僕は人民元を取り出した。
 「わかった! 君はこの場所にいてもっとみんなに話をしてあげてくれ!」と一人で行こうとする。できるだけ多くビールを買ってきてくれと頼み百元札を何枚か渡した。いつもなら決してそんなお金は受け取らないが、「ありがとう!」と受け取ってくれた。
 ビールケースを担いだ張さんと、その後ろにも何人かビールケースを担いだ若者が帰ってきた。ライターや、歯で栓を抜き、その車両に乗っていたビールの飲める人ほぼ全員に青島ビールが渡った。
 「では…北京オリンピック成功のために、そして中日友好と世界平和に!」と眼鏡のにーちゃんが音頭を取り「かんぱーい!」。僕が青島ビールの瓶を聖火のごとく高く掲げた。
 「かんぱーい!」ビール瓶が当たるカキーンという金属音があちこちで鳴る。まるでバッティングセンターのようだ。寝台車での大宴会が始まった! あちらこちらから、ソーセージだのピーナッツだのカワハギの干したものだの、つまみが集まる。
 桃、バナナ、ひまわりの種…。みんながみんな「来、来!」(さあ、どうぞ、遠慮せずに)と自分が持っている食べ物を回している。
 そのうちどこからともなく〈白酒〉が回ってきた。それもアルコール度が五六度もある〈二鍋頭酒〉という北京の酒だ。飲みかけでまだ百?ほど残っている。
 「日本から来た友達に思いっ切り飲んでもらうで!」父ちゃんが僕をかつぎあげる。
 「それでは、みなさん!僕はほんまに、ほんまにうれしいんや!」と僕はノドを鳴らしながら〈二鍋頭酒〉を瓶のままぐびぐびぐびと飲み干した。ぷはーッ! また僕は完全にイッてしまった。
 それからみんなに質問攻めにされる。北京オリンピックは日本ではどのようにとらえられているか? 大阪では今回の決定にどのような感情をもつか? 世界は北京をどのように見ているか? 金もうけはできるか? オリンピックのネタから、小泉は? アメリカは? 君は今の中国の何が問題だと感じるか? など質問攻めが続く。僕のコメントにみんな耳を傾ける。僕の目から見た日本や中国をそのまましゃべった。
 気がつくと、なんと、父ちゃんと口論をしていたあの服務員が二人肩を組んで踊っている。
 「僕は今、中国にいる」と実感した。ありがとう、みんな! 今日は歴史的な日だ。この瞬間、僕は中国にいる、そして硬いベッドの寝台車〈硬臥車〉にいる。僕以外みんな中国人だ。TVよりももっとリアルな世界。今この空気を吸えることにとても感謝している。
 いつのまにか話題は僕の結婚のことになり、「オリンピックもそうだが、とにかくめでたい!」と逆に僕が主役になっていた。
 「中国オリンピックおめでとう!」
 「結婚おめでとう!」
 大宴会はさらに続く。僕の上にいた父ちゃんの娘がみんなの前でこう言った。「私は七年後、北京オリンピックに出場します! 頑張ります!これからはまじめに練習します」お姉ちゃんは現在七歳で新体操を習っているらしい。
 「おー!」歓声が上がる。その言葉がまたこの宴会を盛り上げた。わかりやすいドラマのようだが、このノリは中国ではまだ実在する。実際僕も彼女の「七年後、北京オリンピックに出場します!」という言葉には感動した。大阪人が突っ込みを忘れてしまったのだ。
 二〇〇一年七月十三日。二〇〇八年北京でオリンピックが開かれることが決まった日。その純粋な空気、がんばれば不可能なことなんてないのだ! という空気、その空気を胸いっぱいに吸うことができた。この空気を吸えたことで僕の何かが動いた。それが何なのかうまく表現できないが…。
 初めて北京に一人で行った九三年九月三日と同じく、僕にとって歴史的な日になった。あれから中国で、日本でいろいろなことがあった。僕は今年十月八日に結婚する。この日の空気を、僕の気持ちをすべてわかってくれる人と結婚する。
 すべてはつながっているのだ。一本の串で。そう、僕の大好きな羊肉串のように。
 おめでとう! 北京オリンピック! 中国オリンピック! (おわり)

ページの先頭へ