20011005

家計は毎月赤字だが…
介護保険、医療費が追い打ち
元気に明るく生きる母

政府は年寄りをいじめるな

サービス業 吉村 健二


 私の実家は人口四万人ほどの小さな田舎の町、田園地帯にあります。二、三の誘致企業がありますが、多くの家は兼業農家です。過疎地域ではないのですが、こうした地方都市の例に漏れず、高齢化が特徴です。
 父が数年前に逝去して、八十一歳になる母が現在一人暮らしで、つまり独居老人です。仕事の都合もあり、母と暮らすということもできず、今は月に一度か二度、私が実家にかえって元気かどうかようすを見ているといった状況です。いつも心苦しさを感じています。
 実家のある集落は町の中心部から離れており、まずは田舎も田舎という感じのところで、向こう三軒両隣、七十代、八十代、九十代とお年寄りを皆抱えています。お年寄りはだいたい年金暮らしで、田畑をいじって、食べる野菜やコメは自活といったようすです。
 二世代家族、三世代家族もいますが、跡取りはどの家も五十代過ぎといった状況です。農業のかたわら運送や土木の手伝いで暮らしをたててきた人、警備会社に勤めていたが借金を抱え退職せざるを得なかった人、畜産の規模拡大で失敗し今は鉄工所に勤めている人、さらに若い頃から生業についたことがなく「組員」( )で食ってきた人など、さまざまです。
 地域には家構えは実に大きく立派といえる家もありますが、そこの内情も含めて(何しろ田舎ですからすべては筒抜けです!)、集落の人びとの生活は決して豊かではありません。

*    *

 そんな中で、私の母も年金暮らしです。父が生きているときは田舎で暮らすには、ぜいたくをしなければまずまずの金額でしたが、今や収入は半減。文字どおり、ツメに灯をともすような生活に変わりました。節約に節約を重ね、町に出ると金がかかるので、医者に行くとき以外は、村からできるだけ出ないようにしています。
 しかし田舎は食費以外の支出が多いのです。寺普請・神社普請の寄付(壇家、氏子は事実上強制的です)から葬祭事、はては小学校の改築費援助などというのもあります。高齢者の多い村ですから、葬儀事の支出は絶え間なくあるのです。
 したがって母の生計は赤字。わずかな貯蓄を細々と取り崩して、月々をまかなっているというのが事実です。
 母が私に言います。「月三万の赤字だから、このままだとあと○年は何とか生きていけるね」。何とも悲しくなるような計算ですが、収入の少ない私には、何とも答えようがありません。
しかし母は実に元気です。俳句を投稿したり、人生相談にのったり、花を生けたり、年齢に比べ若々しく、明るく生きています。ですから私も助かっています。とても感謝しています。

*    *

 さてそんなところに、小泉改革の中で「高齢者医療制度の改革」(大改悪)が降ってわいてきました。老人保険対象者年齢の七十歳から七十五歳への引き上げ、七十歳からは患者負担二割へ増額、外来の負担上限額の廃止などです。老人医療費をなんとしてでも抑え込もうという改悪です。「私は八十一歳なので老人保健で安くすんでいるから」などと言っていた母ですが、今度の改悪で外来でかかる費用の限度が取り払われ、当然負担が増えます。
 さらにこればかりではありません。介護保険があります。自民党の選挙対策として、とりあえず抑えられていた高齢者の介護保険料が十月から全額徴収になります。これまた支出が増えます。ふた月で五千円ほど年金からキツチリと差し引かれていたものが、今度から一万円以上になるのです。金持ちならそれでも耐えられるでしょう。しかし細々と年金で暮らしている人にとって、この負担は実に大変なのです。
 医療と介護で、弱いものをいじめる政治、そのことをつくづくと思います。小泉が改革と称してやっていることの一つの実態がこれです。
 年寄りですから、大きな声をあげて反対運動をやるといったようにはいきません。ただ、怒りが、深く、大きく、無言のままに沈殿していくでしょう。こうしたことに、私たちがどうこたえていくのか、問われているように思います。
 昔からの言い伝えにあります、「年寄りをいじめる者にろくな末路はない」と。小泉政権の末路もまた見えてきたように思います。

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