20010915

アジアの街角から

マニラの労働者は世襲制

海援隊21代表幹事・牟田口雄彦


 マニラ湾の夕日は絶景である。今回は雨期に当たり、拝むことができずに残念であった。ただし、フィリピンのインフラの状況を調べるには、格好の天気であった。新規にマイホームを取得する場合、晴れの日だけでなく、雨の日も行かなければ、本当の価値が分からないことと同じだ。
 マニラの道路は、至る所で洪水状況、そこで渋滞してなかなか前へ進めない状況が続いた。しかし、この国の人びとは、決して焦らない国民のようだ。アジアの国では、横をかすめて行くオートバイや自転車がほとんどいない。裏道も皆無のようだ。皆、渋滞の中をじっと待っている。
 すると、どこからか現れてくるのは、物売りの人びとだ。たばこ、お菓子、おもちゃなどを雨の中で笑顔を浮かべて売って歩く。たばこは一本から売っている。本当の(車の)すき間産業だ。この国の人びとは、日本の失業率の倍の一〇%の苦しさを感じさせない、穏やかさとしたたかさで生きているようだ。日本人がイライラする渋滞の中で、時間を待つ余裕を見せるフィリピンの人びとから見ると、日本の人っ子一人通らない高速道路はどう見えるか、聞いてみたい気がする。
 「ジープニー」という乗物もそういった意味でのしたたかさと工夫がいきている乗物だ。戦後、米軍のジープの部品を集めて組み立ててつくられた改造乗合バスである。満艦飾(まんかんしょく)の姿は、日本のかつての「トラック野郎」を思い出す。見てくれほど運転や性能は良くなく、パワーステアリングはなくて重く、長時間の運転には不向きであるようだ。スピードメーターもなかったり、ついていても故障して動かないものも多いらしい。訪問した工場では、車道に「歩くスピードで進め」という標識をわざわざジープニー向けに設置して、歩行者との接触事故を防いでいるほどだった。しかし、この国では、死亡事故のような重大事故がほとんどないと聞く。渋滞のせいか、日本車のようにあり余るスピードを出せない車のせいか、穏やかな国民のせいかと考えてしまう。
 この国の労働運動には、日系企業も手を焼いているようだった。訪問した日の直前に、日系企業が労働大臣との話し合いをもったばかりであった。しかし、企業によっては、うまく解決しているところもある。それこそいつものアジアの伝統と近代をうまく結びつけてしたたかな解決方法をとる現地に適合した経営者もいる。労働者の世襲制を認めているのである。企業の所在する村の村長や母親(この国では、母親が家族の中で絶対権力者である。男は付け足しのようなものであると聞く)との話し合いの中で、四十歳を超えた労働者は、若い子供に自らの雇用を譲る制度をとっている。もちろん、給料はお袋に渡す。
 この国では、拳銃は許可があれば持てるが、むやみな殺生はおこらない。ストリート・チルドレンはいるが、袋詰めでわが子を殺す事件は皆無である。日本とは、何か対照的な国を見る思いがした。男であることが楽な、この国の魅力を大いに感じた。

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