20010905

中国で遭遇した「オリンピック北京開催」決定(2)

TVに間に合わない!

今宮 浪虎


 商談が終わり、張さんと僕は青島に帰る列車の切符を待っている。工場の管理責任者ともフランクな話が始まる。毎日違う公司や工場を訪問すると、話のネタは決まってくる。最近は北京オリンピックの話ばかり。何度話しても、僕にとっても相手にとっても、この話題は盛り上がる。
 前回、北京がシドニーに一票差で負けたとき、僕は北京大学に留学していた。あのときのIOC会議までの盛り上がりと、シドニー・オリンピック決定の次の日、力が一気に抜けてしまった北京の空気を吸った。「北京でオリンピックを!」「二〇〇〇年、北京オリンピックの実現を!」と書かれた看板や花壇、ポスターなどが撤収された日、僕は北京にいたのだ。
 「今回は北京で決まりだな!」と泰安工場の人が自信満々に言う。「そうかな?」張さんが首を傾げながら僕の意見を待っている。
 みんなは「もし北京でオリンピックが決まったら」なんて話よりも、ほんとのところ世界は北京オリンピックについてどう考えているのか、大阪人はどう考えているのか、そこにみんな興味をもっている。北京開催の可能性については、あまり自信がないようだった。
 「オレ大阪人やけど、今回は北京で決まりやと思う」と「今回は」に力が入る。そのあと、アメリカは中国に借りがあるとか、サマランチは中華料理が好きだとか、適当なことばかり言って、みんなを安心させた。
 「はい、切符!」事務員のねーちゃんが青島行きの切符を買ってきてくれた。「八時出発で、いつ着くの?」と聞いたが、わからないらしい。たまにこの列車で青島まで行く工場の社長が言った。「着くのは、朝の五時くらい」。夜の十時に始まるIOC会議の生放送までには帰れない。あきらめるほかなかった。
「席は? エアコンは?」張さんが僕のことを気にかけて焦っている。切符は九時間かけてゆっくりと青島まで走る〈慢車〉という普通列車で、エアコンなんかはなく、席も硬いベッドの〈硬臥〉というやつだ。「どうしよう! どうしよう!」と張さんが焦る。海外からの出張客が〈硬臥〉で九時間も移動することはまずない。
 「切符を捨てて、泰安市に泊まってはどうか」と社長が言いだす。「今日で一カ月かけた出張・商談も終わりやし、そうや、明日泰山に観光に行こう! 泰山はホンマにええ山やで!」張さんがこの社長のノリに合わせてきた。
 僕は結果がどうあれIOC会議の生中継を見たかった。TVが見られないのは悔しかった。泰安市のホテルでTVを見ようかとも考えたが、泰安に残ると 明日も宴会が開かれてしまう、 〈硬臥〉も乗りこなせないやつと思われたくない、 青島に帰り、一人ほっとできるまで、僕にとっての「仕事」は終わらない――そんな理由でなんとしてでも八時発の列車に乗り、車中で一晩過ごすことにした。
 「悪いなぁ」と張さんのテンションが下がっていく。
 出発まで少し時間がある。夕焼けで染まった街の後ろに泰山が見える。宴会だ! 飯を食う作業ではない。駅の近くのレストランで宴会が始まった。TVも見られないし、どうせ朝まで列車の中で暇なので、いつも仕方なく飲んでいる〈白酒〉だが、今回はやけくそ状態で体内に注ぎ、熟睡するつもりだった。
 いつも以上に血液の中をアルコール分子が泳いでいるのがわかる。僕は完全にイッてしまった。赤血球が血管を流れていくCGみたいに、〈白酒〉分子が僕の脳内に集まってくる。そうなれば、僕のインチキ中国語はある一定のレベルを超えて、達人の域に達する。まるでジャッキー・チェンの「酔拳」という映画のようだ。通訳など存在しないダイレクトな関係、そんな空間がさらに僕の脳を漢字だらけの世界に変えていく。「白酒は体によい。けど頭には悪い」。みんなそのとおりだ! と言いながら乾杯が続く。
 最近日本語を勉強し始めた張さんが「シロザケ、ノミマスカ? ソウデス?」と僕の機嫌をとってくる。張さんは夜行列車に乗ることになってすまないと思っているのだろう。完全にイッてしまっていたので、僕はしゃべりまくった。「われわれの長期協力関係に!」乾杯。「ともあれ北京はよくがんばった!」乾杯。「ほぼ北京に決定だ!」乾杯。「絶対北京に決定だ!」乾杯。話はやはりオリンピックのネタになった。
 みんなは僕が北京好きの大阪人であることを知っていたので、かなり盛り上がった。ふらふらになってスイカが出てきたとき、すでに時計は七時四十五分。急がなくては!
 張さんと僕はふらふらで宴会のシメの言葉を言い残し、駅に走った。(つづく)

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