20010725

日本の教育は機能マヒ
教育の荒廃はどこから

解決のために大討論を

城戸 秀明


 わが国の教育現場の実態を傍観することは、日本の将来にとってきわめて危険です。教師の生徒への暴力、セクハラ、生徒間のいじめ、野球部などのクラブ活動内での下級生への暴行、学級崩壊、そして何よりもひどい生徒の学力の底知れぬ低下。
 この現実は、わが国の教育が機能マヒに近い状況であることを物語っています。こうした教育現場での状態は、何を原因として発生してくるのでしょうか。

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 教育基本法は「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の価値を尊び自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」と明確に規定しています。
 しかし、実際に教育現場で行われていることは、この内容とまったく逆なのです。「教育は人格を破壊し、戦争を美化し、虚偽と悪徳をすすめ、学友を出し抜き、依存心の強い、心身ともに不健康な国民の破壊を期して行わなければならない」と書き換えれば実態とピッタリ合います。
 外国人が日本人を理解できない最大の理由は、この点にあるのです。言語の本質を正確に理解しようとせず、それはあくまでも儀礼的なものとして「適当に取り扱う」、きわめて奇妙な人種であるということです。多くの外国人が書物の中で、日本人を「エニグマ(奇怪)」な民族と称しています。
 たとえば、日本国憲法第九条では、戦争の放棄を高らかに宣言しました。にもかかわらず「自衛の軍隊までも否定したものではない」という勝手な解釈で、陸海空軍をつくりあげて平然としています。
 この主張が正しいのなら、憲法は「侵略のための軍隊は保持しないが、自衛のための軍隊を保持することは認める」と規定していることになり、この世で最高のギャグになってしまいます。自衛の軍隊と攻撃の軍隊を別物として扱う、このマンガチックな発想は外国では通用しないし、解釈しだいで右にも左にもなるのでは憲法の意味をなさないと、抗議の声が上がるでしょう。

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 憲法をつくりあげた立法府が憲法を破るという矛盾が、国民を混乱させ、精神分裂状態に追い込んでいます。国家が「左へ行け!」と文章で命令を下しながら、自らは右へ走っていくのですから。一事が万事、日本社会のやることは「建て前と本音」があり、その思想が全般を支配しているのです。
 今日の教育の諸問題は、まさに日本人のこの精神構造が如実に表面化した結果といえるでしょう。わが国の教育界は文部科学省からはじまって各都道府県市町村の教育委員会、大学院から幼稚園にいたるまで、すべてこの「建て前と本音」の虚偽と体裁(ていさい)で塗り固められた奇怪な世界に変質しています。
 それではなぜ日本人はこの「建て前と本音」というオゾマシイ精神構造から逃れられないのでしょうか。それは、「建て前」としては日本国は国民のものであるが、「本音」はその裏で巨大資本があやつっているという、国の根本にふれる問題から生じているように思います。
 日本人はそれを知りつつ、今のところ「どうしようもない」というイラダチに陥っているのです。子供が子供の首を切って校門の前に置いたり、親が子供を床にたたきつけたり、祖父が孫を木につるして殺したりする奇怪な犯罪の数々も、こうした行き場のないイラダチから発生しています。
 したがって、教師の責任や親のしつけを責めても、この本質にメスを入れない限り問題は解決しないでしょう。すべての国民は一致団結して、ずばりその本質を徹底的にえぐり出す、全国民的な大討論の場をつくりだしましょう。問題は、枝葉をいくらいじっても、その本質にふれない限り解決しないものです。
 一人が困ったときにはどうするか? 仲間に相談すればいい。皆が困ったときはどうするか? 問題を隠さず、その問題解決のために皆で話し合う。これ以外に解決策はありません。
 何でも話し合える集会を全国的に、大規模でも小規模でもつくり、問題の原因がどこにあるのか話し合いましょう。話し合いもなく、孤立していては精神分裂状態から解き放されることはありません。困っているのは誰しも同じなのですから。

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