20010605

やっぱ好きやねん
北京西駅の秘密

黄土高原に友好の樹を植える旅

ひまなぼんぺい


 昨年七月に下見をした山西省介休市綿山での植樹が具体化し、三月三十一日、春の大雪が舞う中を出発した。一行九人の旅である。
 北京では王府井大街のそばに立つホテル松鶴酒店に二泊した。王府井大街は驚くべき変わりようで、北京飯店のすぐ裏手には中国のあらゆる地方の名物料理を食べさせる「小吃街」(スナック通り)が出現していた。東京でも一時はやった屋台村を大規模にしたようなものだ。竹の筒で蒸したかやくごはん、シシカバブ、ぎょうざ、さまざまなめん類……呼び込みと各地の民謡がにぎやかで、胃袋の丈夫な人だったらここで二、三日過ごせば安直な「中国少数民族調査レポート」が書けそうである。
 新華書店もエスカレーター完備の巨大なビルに建て替えられ、各フロアには座り読みができるようベンチが据えつけてある。模擬試験集をはじめ学習参考書類が目立つのも今の中国の事情を反映しているようだ。しかし、ここで驚いたのがトイレである。小用を足しに一歩入って「あッ、失礼」と思わず言いかけた。しゃがんだ五人の男がこっちを向いて「大」の用を足しているのだ。改築のときに今度は扉をつけてというプランは出てこなかったのだろうか、伝統がしっかりと守られているのだった。
 四月二日の夜、盧溝橋からの帰途、早い夕食をすませて北京西駅に着いた。東京駅の五倍の規模と前にこの欄に書いたが、この威容はただものではない。
 ここから夜行列車で山西省の介休に行くのだが、出発までに小一時間ある。待合室は禁煙だ。「煙鬼」(ヘビースモーカー)のZ君が「おい、タバコを吸いに行こう」と誘う。
 外に行くしかないかと考えていると、「これだけのテナントが入っているんだからドトールみたいなとこがあるはずだ」と、幅が五十メートルはあろうかというコンコースを歩きだす。小なりといえど企業の経営者を長くやってきた彼は決断が早く、しかも有無を言わせず僕を案内役に仕立て上げてしまう。しかし、予想に反してドトールのような店はなく、レストランに入るには時間が心配だった。うろうろしていると若い男が寄ってきて「何をしている」と聞く。「タバコを吸いたいんだ」と吸うふりをすると、「OK!」と言って腕を引き、コンコースわきの階段を上って行く。バナナの皮や紙くずがちらかっている。
 コンコースを見下ろせる長い通路に沿って部屋が並んでおり、そのうちの一室に通された。がらんとした部屋には大型のテレビが置かれ、長いすが据えてある。旅客が出発までの時間を過ごす有料の待合室だった。三人の先客がいた。若い男はそこの管理人らしい女性に何事かささやくと出ていき、水を少し入れたプラスチックのコップを持ってきて灰皿代わりにしろと勧める。女性が出発は何時だと聞くので答えると、先客の一人がそばにきて、「中国人じゃないだろう。どこから来た?」と尋ねた。「日本の東京から」と言うと、男はへーというような顔をして、今度は「どこに行くんだ」と聞く。
 僕らは時間ぎりぎりまでここにいることにし、ビールとコーヒーを頼むと若い男がどこからか調達してきた。
 「あんたが絶対に知らないところに行くんだ」と質問した男に答えると、「どこだ、言ってみろ」と言う。介休という地名はやはり知らず、「なぜそんなところに行くんだ」と重ねて聞く。
 介休と綿山のことを簡単に紹介し、「僕の父親の世代が中国を侵略し、そのとき綿山に火を放ったので、そこに植樹に行くんだ」と話した。僕のへたくそな中国語を理解したのか、話し終えると男は右手を出して握手をしてきた。力強い握手だった。
 管理人の女性や別の客も話に加わってきたので、「休みの日は何をしているの?」と女性に聞いた。
 「休みの日はここに来る」
 話がわからない。「休みの日には子供やだんなさんと遊びに行かないのか」と尋ねると、三十前に見える彼女はまだ独身で、休みの日にはここを見に来るんだと言う。
 彼女がくれた名刺には「斯威蘭美国家具有限公司」と書かれており、ふだんはその家具とインテリアデザインの会社で営業の仕事をしているのだった。彼女はこの部屋を月六千元で国から借り、若い男たちを使ってサイドビジネスとして有料待合室を経営しているのだ。そして休みの日はここに監督に来る。テレビや長いすなどの設備、電気、水道代など込みで六千元だという。従業員の給料は歩合で、客をいっぱい呼び込めばかせぎも増え、先ほどの若い男がいちばんの働き手で、彼には月二千元ほど払っていると言う。けっこうな額である。
 この日はたまたますいていたが、春節やメーデーの連休などには民族の大移動があるし、改革・開放の進展に伴って人の移動が多くなり、けっこういい商売になるらしい。
 強引なZ君のおかげで、今の中国の一面に触れることができたのだった。(次回は七月五日号)

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