20010525

チッソ水俣病関西訴訟

高裁が国・県の責任認める

大阪・岡田 幸彦


 一九九五年の「苦渋の決断」と呼ばれた国との和解には応じず、公式発見から四十五年をへて争われてきた「チッソ水俣病関西訴訟」の大阪高裁判決が、去る四月二十七日に出されました。
 内容は、被害者原告側の主張を大幅に認めた画期的判決です。主な争点は三点あり、一、国・熊本県の行政責任。二、患者認定の基準の誤り。三、賠償金額。
 一つめの行政責任について、水俣病関連の訴訟の地裁段階では、今まで六件の判決があり、その内三件が行政責任を認め、残り三件が認めないという経過がありました。
 今回の判決は、高裁段階ではじめて行政責任を認めた画期的なものです。ただし、国の行政責任は四分の一あるという中途半端なものです。
 二つめの患者認定の基準は、大幅に原告側の証人の診断を取り入れて、認定者を増やしています。
 三つめの金額については、地裁判決より若干増額されました。また、除斥(ジョセキ)期間という、訴訟に踏み切るまでに二十年以上をへているので、訴訟の権利そのものがないという、いわば国の時効を認める立場を地裁では認めたものを、高裁では退けています。これは非常に画期的であると、担当の弁護士が述べていました。ハンセン病患者の訴訟でも同様でした。
 ただし、問題点も大きいものがあります。地裁で患者と認定された人が高裁で認定されないというケースが二件もあります。
 また、補償金額を減額された人もあり、この判決の結果、返金せねばならないという問題が生じています。国の責任が四分の一という判断も不当なものです。
 原告が主張した食品衛生法の適用は退け、いわゆる水質二法の適用を認めたもので、五六年の発見から三年間は責任がないという内容です。

薬害エイズ、ハンセン病の運動とも連動して

 この判決が他に与える影響は、大きいものがあります。九五年の和解にやむを得ず応じてしまった被害者が、訴訟に立ち上がる契機を与えるものです。
 水俣病事件の歴史を見れば、過去に患者を切り捨てる内容の和解が、計三回も行われています。
 これらの不当な和解契約は、経済的に困窮したり、老齢化した患者の弱みにつけ込む、卑劣な交渉の結果結ばれたものです。断固として国・県の行政責任を追及すべきです。
 また、薬害エイズやハンセン病の被害者の告発運動に弾みをつけるものでもあります。現実にそれらの運動に連帯する動きが出ています。

国・熊本県は上告決定、最高裁で争われる水俣病

 原告の年齢は高くなり、当初の五十八人のうち二十人もが死亡しています。判決後に原告団は国や県に上告しないように申し入れ、環境省交渉をしてきましたが、期限ぎりぎりの五月十一日、国・県は上告を決定しました。ついに水俣病は、最高裁で争われることになりました。
 私たちは、原告たちのねばり強い闘いの経過に深く学び、支援活動をさらに強めていきたいと考えています。
 皆さんのご支援をお願いいたします。下記のホームページの情報をご参照ください。

チッソ水俣病関西訴訟を支える会のページ
「さうすウェーブ」のページに「水俣病事件」関西訴訟特集があります