それまでの居丈高な県教委の態度が一変したのは、組合が二月四日の臨時大会で徹底抗戦の姿勢を示した時からだった。
「三教組の活動であればすべて地方公務員法違反」とまで言い、組合の代表者と会おうとさえしなかった教育長が、三月十九日、三教組に対し「現場教職員にはつらい思いや嫌な思いをさせたことに深く反省している」と述べ、流れは変わった。
組合員が九九%以上の結集率で署名し闘う意思表示をしたことも、県にとっては予想外の数字だったかもしれない。理由のあいまいな金を払うということは「負け」だと思うのだが、団結の力は敵をひるませた。
「徹底抗戦」といいながら執行部がずいぶんあっけなく妥協してしまったことに、私の職場はそれほど怒っていない。県が「ごめんなさい」と言い、個人への返還請求をやめたことに対する安心感と、県民すべてを敵にまわすかもしれないという緊張・不安から解放されることへの安堵(あんど)感のほうが強かったと思う。
正直なところ「金の問題は早くカタをつけてもらってけっこうだが、勤務条件の悪化と自由な論議を否定する教育現場への締めつけは許せない」というのが今の職場の大多数の気持ちだ。
県は「ごめんなさい」とは言ったが、請求金額のほぼ全額を手にし、学校現場への締めつけを強めることに成功した。サギまがいのだまし調査から始まった職場へのさまざまな締めつけは、勤務時間内の組合活動だけに終わっていない。「新採研修も、新採教員が真に教師になるための研修から離れていっている」という声も聞いた。「教育システム改革」を進める北川県政の下で、県教委の攻撃は決して終わったわけではない。むしろ主任制や勤務評定など、これからさらなる攻撃をかけてくるだろうと思える。
それにしても、わずか一カ月の間に県の態度が一変した。闘う姿勢と方向を示せない組合はなめられ、つけ入られるということがよくわかった。二年前、広島県に続いて三重県でも教育への攻撃が始まった。「新しい教科書をつくる会」などの勢力が金をふんだんに使って全国的にいきまいている中、闘いも組まず県を信用していた執行部がバカだったのだ。
今回のように後手に回った闘いでも、わずか一カ月で流れを変えることができたのだから、二年前にしっかりとした方針を打ち立てていたら、状況はまったく違ったものになっていたと思う。
三教組はこの二十年余、外向けには闘いらしき闘いをしてきていない。それでも私たちは日々の教育の中で「民主的な学校でこそ民主的な子供を育てることができる」と信じて職場づくりをしてきた。九九%を超す組合員の署名は、その日々の延長線上にある。
今回の闘いの「敗北」から私たちが学ぶべきことは、徹底抗戦を決めたあの臨時大会の熱気が示したもの、日々の職場での闘いの中にあるもの、「団結した闘いこそ、敵を追いつめていく力だ」という事実を忘れてはならないということだ。そして執行部は、組合員を信頼し、その先頭で闘う司令部でなければならないということだ。
八億円を払うくやしさを、これからの闘いに向けていこうと思う。