20010515

アジアの街角から(5)

ベトナムの「こどもの家」

海援隊(海外展開企業等を支援するネットワーク組織隊)
代表幹事 牟田口 雄彦


 ベトナムは、豊かな農業の国である。市場をのぞくとさまざまな食材が所狭しと並んでいる。卵もアヒルの卵をはじめ種類が多いことに驚く。工場進出の時にも、食堂はつくる必要がない。工場ができるとすぐ周辺の道路に屋台が並び、食事を提供してくれる。
 生活用品も豊富にスーパー(市場)に並んでいる。ブランドものも、日本人には、びっくりするほどの安さである。日本人には、今や密輸という感覚は抜け落ちていると思われるが、ベトナムは、国境線の長さ、周辺国との交易の歴史とベトナム人のたくましさに助けられて、驚くほど密輸品が多く、物価を下げる要因になっているほどだ。
 一説によると国家統計の貿易額に匹敵するか、あるいは、それ以上の額があるとのうわさがあるほど、日本人の想像をはるかに超えている。また、この国の官僚の汚職も日常茶飯事とも聞く。
 このような中で国家を経営していくことは、大変なことであろう。体制が未整備のこともあろうが、社会主義の国にしてはプール付きの豪邸に住む者もいれば橋の下で暮らす者もいるほど、貧富の差は激しい。街角には、物乞いの子供たちが目につく。東南アジアでは、たくさんのストリートチルドレンを見るが、ベトナムは貧しく、そして、家族親戚の強固な団結のある地域であるが故に、そこからはずれた子供たちの生活は悲惨である。
 この現状を見て、立ち上がった日本人がいる。東京の小学校の教諭であった小山道夫さんである。彼は、一九九二年に研修旅行途上に過酷な境遇の子供たちを見て、いても立ってもいられなくなり、翌年、四十三歳で辞職して日本を立ち、ベトナムのフエ市に「こどもの家」を設立した。
 最初は、補助金や援助金で運営していたが、自立が必要と六年目からは、隣に委託加工工場を建設して、自立経営をしている。入居の時には、殴ることがあいさつと思っているような子供たちが育つために必要なことは、「愛と文化」だと言う。
 彼は、今、「こどもの家」と工場を彼の主義である「現地化」(現地の事は現地の人に任せる)を十年で達成しようとしている。日本では、小学校の教諭であった人が、ベトナムでは、児童福祉施設長と工場の経営者となっている。すごい変身であり、能力である。
 私は、彼に現地化がすんだ後は、ぜひ日本に戻り、今、荒れている学校や児童虐待の続く家庭、児童施設を救ってほしいと考えている。ただし、彼の能力を生かせる組織や場が日本に用意されているかといえば、はたと考え込んでしまう。何もないベトナムとすべてが一見完成している日本との構図の違いを感じる。
 もう一回、日本も小山さんのような人物が活躍できる、子供たちが「愛と文化」を享受(きょうじゅ)できる社会体制の再構築が必要ではないかと感じた。