20010515

イチローの受験体験記(下)

能力開発より職よこせ

近江 一郎


 「雇用・能力開発機構」によるコンピュータ講習をまともに受講したからといって、就職が斡旋(あっせん)されるわけではありません。「受講修了」認定のもとに、再び職安に登録して職探しが始まります。再就職までの時間的ずれが生じるわけです。
 確かに「国」としては高い授業料も支払い、おまけに雇用保険手当、奨励金の支給までしているので、少なくとも表向き多くの国民がIT(情報技術)技術取得にまい進しているという成果を上げなくてはならないのでしょう。
 実際、講習の内容は実践的で充実したものですが、これがすぐ就職に結びつくとは講師さえ思っていません。末期的な不況構造がますます深まっているのが現実です。「仕事」がないことを前提として「IT」とわめいているお国の偉いさんだけの、その場しのぎの小手先の施策ということが実感できました。
 この制度も見直しが図られ、長期(六カ月)の講習期間は新年度から停止され、一律三カ月のコースとなるようです。そこには雇用保険支給延長を目的とした人が多くいるということと、他の多くの失業者にこのITなるものを伝授せんとするお国の事情がうかがえます。
 しかし講師たちは三カ月の講習期間でどれだけのものを教えられるのか迷っているのが現実です。いずれにしろ国の事なかれ主義、おざなり行政がここにも顕著に表れていることに疑問を大きく抱きました。
 この期間親しくなった若い「学窓」に労働新聞を二度ほど読んでもらい、感想を聞かせてもらいました。「日本の政治体質はまったく旧態依然でなんの改革もなされていないことがよく分かった」と言う若者。また別の若い仲間は「まったく仕事がないという厳しい現実がよく理解できた。政治を変えなくては」と言っていました。
 私がここで得たことはCAD(コンピュータを使った設計)の技術取得よりも、こうした若い仲間の感覚、思考が五カ月間のつき合いのなかで見えたことです。そして労働党もこういった若者を引きつける魅力ある党をめざして前進することが、この二十一世紀を勝ち抜く大きな力になると実感しました。
 「雇用・能力開発機構」という難しい名の施策よりも、「仕事よこせ」というのが切実な現実です。政治を変えなくてはならないという若い人びとの声なき声を結集させることが、当面の大きな課題であると実感した「受講体験」でした。(完)