20010515

介護保険導入から1年
貧乏人につらく厳しい制度

板ばさみでストレスたまる

ケアマネージャー 佐々木 恵子


 介護保険制度が始まってから一年が過ぎました。
 一年前の今ごろは、二カ月近くも、毎日毎日、夜遅くまで残業してケアプランの作成に明け暮れていました。ぼう大な事務量にクタクタになり、見切り発車で本当にやっていけるのだろうかと不安になったものでした。
 あれから一年、私の職場では体制の不備も解決されないままです。いまでも、標準で五十人のところを、一・五倍の七十人以上の利用者をかかえています。残業や休日出勤しなければ仕事が終わらない毎日です。
 マスコミでも、介護保険制度一周年ということでいろいろ特集番組がありましたが、現場でやってみて一番問題と思うことは、やはり介護保険制度は、どうしてもサービスの利用がその人の必要性にあったプランというより、金銭的な条件が優先させられるということです。保険料の負担もそうですが、利用者にとっては一割の自己負担というのは少なからぬ重荷になっていることです。
 ある程度(厚生年金程度)の収入のある利用者にとっては、それほど問題ではないかもしれませんが、月に五万〜六万円程度の国民年金で生活している利用者にとっては、金銭的なものはかなり大きな負担となっています。
 ケアマネージャーの仕事は、その人にとって必要なケアの計画をつくるというより、実際は金の計算という面が強いということをあらためて実感しています。
 プランと金銭的条件のはざまに立って、利用者、家族、サービス業者との接点をつくる仕事なのでストレスがたまる仕事なのです。ある利用者の家族から、「男性のケアマネージャーは強い口調で言ったり、皮肉を言ったりする。女性のほうがいい」と言われました。
 また、痴ほうの人についての認定基準が厳しすぎることも問題です。見た目ではいろんな動作ができるように見えるので、どうしても判定が軽くなるのです。実際の介護の手のかかり具合からすると実情に合っていません。これは、いろいろなところで指摘され、いくらか改善もされるようですが。
 さらに、家族のさまざまな条件も考慮されにくいということです。家族の人数や家族の仕事の状況や住環境など、それぞれの家庭にはそれぞれの条件があって、家族の中で高齢者がおかれている状況も多様です。その人にあうケアのあり方をどうしても金銭的な面から制約されることが多いです。
 とくに、デイケアサービスとの組み合わせの場合、利用回数が少なくなる人が多く、以前なら安い料金で利用できたのに、回数が制限され、もっと利用したくても全額自己負担では負担が大きすぎて、こういうときはとても悲しくなってしまいます。
 もうひとつ、家事援助の評価が低すぎるため、ヘルパーの事業所がやっていけないということです。在宅は食べることが中心となります。しっかり食べることが病気の予防となるのです。調理など基本的な生活を支える援助に対して評価があまりにも低すぎるのです。コムスンのように、事業所を閉鎖したり縮小することにもなると思います。
 賛否渦巻く中で出発した介護保険制度ですが、どうしても低所得者、貧乏人にとってはつらく、厳しい制度だと思います。
 しかし、消費税と同じように、国民への負担・犠牲の強化なのですが、いったん始まってしまえば、ずるずると「定着」していくように思います。ましてや毎日の仕事としてやっていると、いっそうその感を強くします。
 いままた、「構造改革」が強く叫ばれています(小泉総理は介護保険を厚生大臣のとき強力に進めた人ですが)。医療福祉面での切り捨ての動きもさらに強まるでしょう。これからどんなふうになっていくのか、「痛み」はいつまで続くのでしょうか。