20010325

会社が倒産した!(3)
 辞めた仲間から相談電話
ささやかな闘いは続く

ついにきた解雇通告

産廃処理労働者 福田 直二


 待ちに待った一月分の残りの賃金が出た二月二十日、仕事が終わった後、副社長に四人が呼ばれる。「勤務の異動かな」などと雑談しながら順番を待つ。最初に呼ばれた私は、いきなり「君を解雇する」という言葉を聞いた。
 解雇まで予想していなかった私は、一瞬ボーッとなってしまったが、気を取り直して反論。「いきなり解雇と言われても困る」「君の仕事はなくなっているのはわかるだろう」「仕事がなくなったのは私のせいではありません」「失業保険でももらって生活してくれないか」「そんなことできない」「解雇予告手当はどうするのですか」「金がないから解雇するので、そんな金はないよ」「それは困る」などのやりとりが続く。
 お互いがこれではダメと思ったのか話し合いはそれまでで、私は席を立って出ていった。
 次に呼ばれる人に手短に「解雇といわれたら絶対に了解したらダメだよ」とだけ言って、その次の人たちやまだ会社に残っていた人たちに、解雇通知を受けたが断ったことを話し、即席の相談会となった。解雇だけは了解しないようにという結論になったが、私以外の三人は退職を了解してしたようで、何かやり切れない気持ちでいっぱいになった。
 次の日、昨日辞めろといわれた三人は出社していない。私のところに来てどうするんだと聞く人はいるが、残ってがんばれという人はいない。昼休み、応接間に呼ばれた私に、副社長が解雇予告通知の書類を持って来て「これならば文句はないだろう」という。そばには例の暴力団の幹部がにらみをきかしていた。
 会社の先行きに展望があれば解雇撤回で闘うのだが、どう見てもうまくいかず自主再建断念(会社解散)が予想されるので、ここは潮時と思い解雇予告通知を受け取った。副社長いわく、「明日から一カ月間は出社しなくてもいい、自宅にいろ」。

*     *     *

 「福田さん、私の言ったとおりになったでしょう」。解雇予告通知が出された日の夜中、外国人労働者のM君が電話してきた。
 「福田さんは、みんなのために会社に対して言ったのに、誰も助けてくれない。日本人ズルイよ」「でも、何人かは寂しくなるねと声をかけてくれたよ。みんな生活があるからな」「福田さん、これからどうするの」。
 翌々日には私の家まで来て、何かと相談にのってくれた。ちなみにこのM君、会社の中で彼への差別は露骨。「クロ」呼ばわりから彼らの文化まで否定する。最も汚い仕事は彼のところに回ってしまう。賃金は一番低い。
 しかし、頭がよいうえに人づきあいがうまく、表裏も使い分ける。オリンピックの時は、「私の兄弟、今日も金メダルよ」とみんなを笑わせる。「森さんだめだよ」「日本人、米国に何もいえない。独立してないね」などと厳しい批判もする。ヨーロッパやアラブ諸国で生活したことのある国際通、英語はペラペラ、昼休みには英字新聞を広げている。
 このM君に何かのきっかけで、えらく気に入られてしまった。「福田さん、私の友達!」と昼食時にみんなの前で宣言したものだから、部長や主任までもが、私とM君にいっしょに仕事をさせる機会を多くしてしまった。
 M君はアフリカの大都会出身で、子供の頃から上下水道は完備でテレビもあったという。国立大学を卒業したというから、日本の山の中で育った私より知識も教養も文化程度もかなり高い。
  *  *  *
 自宅待機が始まった日、妻に報告すると、「労働者は自らの身を守るために闘いもするが、最後の最後までガマンするのに、あなたはガマンできなくてすぐに言うでしょう」と、きつい一言。さらに「私が働いているのでクビになっても何とかなると思っているんでしょう」とダブルパンチ。
 しかし、労働者に知識がなければ闘うことはできない。誰かが発言しないと、不満はあるがただ黙って働くだけである。会社に対して発言したことは間違いではなかったはずだと自分自身を納得させながら自宅待機の日が続く。
 自宅待機といっても職安での職探しは始める。面接を受けに行ったが、一人採用枠に六人が来ていた。職安は大盛況、賃金は低く押さえられていて、これといった職が見つからない。不況を身をもって感じる日々である。しかも正式にはまだ社員なので、失業保険の手続きもできない。

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 二月分給料日の翌日、今まで会社では話したこともない先輩(会社のやり方に不満をもって自主的に退職した人)から電話がかかってきた。「労働基準監督署に行って、給与未払いを訴えたいので、ぜひいっしょに行ってほしい」という相談だった。 
 話したことのない先輩たち四人と、労働基準監督署に出かけた。自分の影響力はないのかな、会社に対して発言したのは無駄だったのかな、などと落ち込んでいた私は、この日の行動と先輩たちの「これからもよろしく」という言葉に、仲間に対する不信はいっぺんになくなった。やはりみんなは見ていてくれていたのだと元気になる。
 労働基準監督署への訴えや簡易裁判などの手続きは終わったが、今も二月分給料は未払い(解雇予告通知期間の三月分も見通しは暗い)。経営者たちとのささやかな闘いはしばらく続きそうである。(完)