20010305

会社が倒産した!(1)
 暴力団が泊まり込んで威圧

仕事がないから帰ってくれ

産廃処理労働者 福田 直二


 新年最初の出勤日である一月六日。やや遅れて出勤した私に「会社のようすがおかしい」とつぶやく声が聞こえた。会社の駐車場には大型のワゴン車やベンツなど見慣れない車が何台もある。早く出勤した人たちは詰め所に入らずに車の中で待機している。
 タイムカードを押して詰め所に入ったとたん、「あなたの会社倒産しているぞ!」と、友人からの携帯電話である。詰め所にいた数人に事情を説明して、駐車場に飛び出し五〜六人の輪の中で携帯電話の内容を話す。
 始業時の八時過ぎ、副社長(事業所長)が「二回の不渡りを出してしまった」「新聞は倒産といっているが倒産したわけではない、会社は今まで通りやっていく」「今からは定時だけで残業はしない」「債権者集会を二十日までには行う」「しばらくの間、若い者が(会社に)寝泊まりするのでよろしく」などと説明。
 「何か質問は」と言う副社長に、一人が「残業や交替勤務はなくなるのですか」「給料は出るのですか」と質問する。「他には!」という副社長の声にしばらくの沈黙が続く。入社して間もない私も勇気を出して、「これといった現金収入が見込めない中で賃金はどうやって保証するのですか」と質問。副社長は「有力な支援者がいるから給料は大丈夫だ」と改めて説明。不安や心配事はあるが、十二月の賃金は年末に全額出ているし、これ以上の質問もできない。
 「今日の仕事はないので、もう帰ってよろしい」。副社長の声で九時にならないうちに退社となった。事務所の出入り口のガラス窓には、会社代理人の弁護士名で、会社が不渡りを出したことと重機など資産の保全を訴える紙が張り出してある。

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 私は都会のど真ん中にある、がれきやゴムくず、廃プラスチック、汚泥、石綿などの最終処分場(最終埋め立て地)で働いている。毎日、百台近い大型ダンプがゴミを積んできて、日常的に粉じんが舞い上がり、悪臭のする悪環境だ。十五年ぐらい勤続している人がもっとも長く、出入りの激しい職場で、私が入社した後も三人が辞めて、二人が入社してきた。外国人労働者もいる。会社の幹部がこの給料で不満なら辞めてもらってかまわないと平気で言うぐらい、賃金は低く、残業がなくてはとてもとてもやっていける職場ではない。
 現場勤務は朝五時からと十七時からの二交替で働く人たちが二十人あまり、六時半から十八時〜十九時までの人が七、八人(私はこの中に)。八時からトラックに乗って出かける人が十人近くいて、この業界では大規模なほうだ。労働組合はもちろんない。私の賃金は税込みで基本給二十万七千円、調整手当二万七百円、住宅手当一万五千円です。残業なしの手取りは二十万二百円。基本給が十七万円台、十八万円台の人も何人もいる。
 年末から会社に関西の○○組系の兄さんたち六〜七人(十代の少年もいる)が、寝泊まりしている。夜は酒を飲んで騒いでいるようだが、私たちが出社した八時過ぎに起きてくる。詰め所には酒や総菜の食べ残しが散らばっているし、布団はまるめたままである。昼間はやることがなく、事務所の中をうろうろしたり、ベンツを一日かけてピッカピカに磨いていることもある。
 親分と思われる人が毎日ベンツで乗りつけ事務所に出入りし、社長たちと歓談する。それだけだが、債権者や労働者には十分な威圧になる。私たちの詰め所での歓談は、ひそひそ話になり会話も少なくなった。仕事が終わってもみんな無口で早々に引き上げてしまう日が続いていた。

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 退社しても、駐車場では輪がいくつもできてなかなか帰ろうとしない。一月分は出すと言ったので今まで通り働くしかないという空気。ただ、仕事があるのかという心配が先立つ。交替勤務者の半分は仕事にあぶれてしまう。ゴミの搬入にかかわる私たちはすでに十二月より本来の業務を行っていない。以降、ささやかな闘いが始まる。(つづく)