20010215

バングラデシュを訪ねて
 都市化のひずみが深刻

純朴な温かさにふれた旅

大学生 高岡 みどり


 一月末の十二日間、バングラデシュを訪れました。帰国して約二週間になりますが、現地で受けた大きな衝撃は今なお冷めず、私の心を揺さぶり続けています。私が現地で見、聞き、感じてきたもの、それは人びとの純朴な温かさであり、たくましさであり、びっしりと根をはりめぐらせた心の傷であったと思います。
 インドの東に位置するバングラデシュは、独立から三十年経った現在も世界最貧国の一つとされています。人口密度は世界一高く、本州の三分の二ほどの広さに、日本とほぼ同じ一億二千万人の人びとがひしめきあっています。 人口の八〇%以上は農村部で農業や漁業をなりわいとしていますが、近年、仕事を求める多くの人びとが都市へ流れ込み、急激な都市化が公害や失業率の増加といった、深刻な社会問題を引き起こしています。私は滞在中のほとんどを、その都市化の真っただ中にある首都ダッカで過ごしました。

貧富の差に戸惑う

 ダッカ市内は、車とベイビータクシー(バイクを改造した手づくりタクシー。三〜四人乗ればぎゅうぎゅうになる)から吐き出される排気ガスと砂ぼこりとで、ひどく空気が汚れています。
 交通量はとても多く、少しのすき間にも入り込んで車を進める、力車(人力車)やベイビータクシーの運転手の優れた運転テクニックに舌を巻きます。力車とベイビータクシーの割合が最も多く、ここでは人を運ぶ人のほうが多いのではないかと思うくらいです。
 街を走る乗用車はほとんどが日本の中古車で、お金持ちの人びとが乗っています。時折、その窓をコツコツと叩き、赤ん坊を抱えた若い母親や老人、子供、そして身障者の人がお金を乞います。車の中にいる人は、信号の待ち時間が長い時など窓を開け、少々のお金を手渡します。一人去ってはまた一人やってきます。
 その光景は悲しいほどに味気なく、まるでキヨスクで新聞と代金を交換するかのようにあたりまえのごとく繰り返されます。あまりにも境遇の違う人びとが日常に混在していることにひどく戸惑い、いいようのない不安を感じました。

美しい笑顔に囲まれて

 たいていの大人も子供も、カメラを向けると無邪気にはにかみ、美しい笑顔を見せてくれます。つられてこちらも微笑みます。道のわきを流れるありとあらゆる生活廃水で紫色になった水、汚れた空気と砂ぼこり……一体このようなひどい環境下で暮らす人びとのどこからこんなにも美しい笑顔が生まれてくるのか、とても不思議な気持ちになったのと同時に、勇気づけられるような感覚にもなりました。
 小さな広場で写真をとっていると、たくさんの人が集まってきました。突然、子供たちの笑い声を吸い上げるように、一本の笛の音が聴こえてきました。見ると、花屋と八百屋の手押し車にはさまれて、一人の男の人がこちらを向いて横笛を吹いています。花と野菜の鮮やかな色彩と、陽気でほがらかな笛のメロディーに、目の前が急に華やかになり、まわりにいた人みんなが笑顔になりました。
 花屋が笛に合わせてチンチキと手押し車のベルを鳴らします。笛の音は、空にこだまするように響きわたり、私たちを包み込みました。
 ちょうどこの広場に来る前、私は何を言ってもピクリとも笑わない、二人兄妹のストリートチルドレンと話をしてきたところでした。兄は八歳、妹は四歳ほどでした。聞けば二人で生活しているといいます。妹のもっている袋に葉っぱを拾い集め、燃やしてごはんをつくったり体を温めたりするといいます。兄のすべてを疑っているような目と、妹の喜びを忘れたような目が、頭にこびりついて離れませんでした。
 私は笛の音に心が救われるような思いでした。今こうして、笛の音と人びとの笑顔が私の心を温かく包んでくれたように、あの幼い二人の子供をふわりと包んであげることができたならと心から思います。しかし、広場にその子たちはおらず、明るい時間をともにもつことはできませんでした。
 厳しい生活環境の中で生きてゆく人びとのことを思う時、日常のささいな幸せに胸苛(さいな)まれることがしばしばあります。例えばそれは、おいしそうなごはんを前に「いただきます」と言う時。夜、暖かい布団にもぐりこんだ時。美しく健康な植物の緑色を見る時です。
  私の目に焼きついて離れない光景の一つに、ダッカ市内外でみた街路樹の姿があります。排気ガスと砂ぼこりをいっぱいにかぶり、すでに緑色ではなくなってしまった植物たちは、くたびれたように首をもたげていました。その姿は、人口・環境・仕事・衛生など、多くの面で限界を超えているこの町を象徴しているようでした。