20010101

日本アジアの街角から(1)

女性合唱団「黎明」の活躍

海援隊(海外展開企業等を支援するネットワーク組織隊)
代表幹事 牟田口 雄彦


 日本を出て、アジアの街角の景色は、日本では当たり前の常識、そして自己の感覚・認識がアジア現地の人のそれと大きく異なることに驚くことが多い。歴史的に位置づけられた日本や日本人に気づき、そして、その中に存在する自己に目覚める。
 横浜市在住の音楽家である日置宏江さん(五十五歳) は、一九八四年に初めて中国を訪れ、上海の街角からその景色を眺めたときに気がついた。かつてあれほど文化・文明の栄えた当地に、音楽が流れる場面が少ないと感じたのである。
 アジアのどこの国にも厳しい時代はある。中国は、七〇年代に文化大革命の嵐が吹き荒れて、街角から歌声が消えた時期があった。その時期、人びとは、西洋音楽どころか、自らの伝統的な音楽さえも聞くことが難しくなった。
 したがって、その時期に幼少期を過ごした人びとは、歌を忘れたカナリアの状態が続くことになった。日置さんは、このような状況を憂い、日本のアマチュア、しかも、女性を中心とした合唱団を組織して、中国との交流を進めようと考えた。
 アジアの街角の風景は、自分の歩いてきた道をあらためて照射し、次に歩くべき道の景色を示してくれる。日置さんのご主人、正さんの好きな中国の言葉「前事不忘、後事之師(歴史に学びこれからの戒めとする)」が伝えるメッセージの通りに、両国民の歴史を振り返って、日中が共通して失いつつあるものを敏感に感じ取り、そこで、日中双方の国民の架け橋となるボランティア女性合唱団を組織した日置さんの取り組みは、日中両国民の文化交流に、大きな足跡を残すことになっている。
 当初、中国への遠征公演は、電話も通じにくい国情であり、困難を極めたが、持ち前のバイタリティと現地の人びとの献身的な貢献によって公演は成功に導かれた(もちろん、黎明合唱団メンバーのパートナーの献身的な貢献もあったことを付け加えておきたい)。
 以来、六回の中国各地での公演と中国各地の優れた音楽や音楽家を発掘し、日本での招請公演七回、定期演奏会五回など、着実に両国の音楽ファンを増やすなどその果たした意義は大きい。今年の夏には、日中にとってつらい歴史が刻まれた東北三省での公演を中国中央政府の支援を得て三回行い、数千人の観客を動員して成功に導いている。
 今年の六月三日に彼女は神奈川県民ホールに中国人留学生千五百人を招待して、「音楽で絆(つ)なぐ日中友好! 二十一世紀の夜明け」と題した特別演奏会を開催する。日置さんは、アジアの街角から見た景色を起点として、二十一世紀に日中の音楽交流の輪をさらに拡大して展開していくものと期待される。