20010101

若者たちが語る―21世紀のアジアと日本

もっとパートナーシップを


 21世紀が始まった。日本とアジアはますます結びつきを強めている。こういう時代の流れの中で、戦前の過ちを繰り返すことなく、アジアの人びとと本当に理解し合い、平等な関係をつくることが、ひいては日本とアジアの結びつきを強めることになる。アジアとの交流を積極的に進めている若者たちに、経験や感想を語り合ってもらった。

(参加者)

  • 田中 昌宏さん(海援隊)
  • 只腰 佳子さん(日本民際交流センター)
  • 土井 くみさん (日本アジア学生交流センター)
  • 麻生 裕二さん(大学生)
  • 王  健さん (中国・留学生、大学生)

アジア訪問し視野広がる

司会 自己紹介、アジアの印象などをお話しください。

田中 僕は海援隊に参加しています。海援隊は、日本から海外に進出する中小企業をサポートするNPO(非営利団体)です。
 アジアとの交流ということでは、韓国と台湾に行ったことがあります。台湾は非常に活気がある。日本人は今ちょっと元気がないから、おちおちしていられないという第一印象をもちました。
 課題としては、二次大戦のときの歴史問題があります。日本とアジアは、経済面ではお互いメリットがありますから交流はあるにしても、政治的な面とか人間的な交流になってくると腰が引けている。日本は加害者だったこともあって、若い人は分からないですが、年配者はそういう目で見ている。それが交流の妨げになっていることを感じています。
只腰 アジアや世界の人たちとどうつきあっていくのかというのが、学生時代からの私のテーマです。
 私のアジアとの出会いは、アジアからの留学生と友達になったことです。アジアは私にとっては友人の国である感覚が、学生時代から培われてきました。
 タイ留学をしましたが、一番ショックを受けたことは、タイの階級社会でした。街角の屋台に入ると小さな子供がどんぶりを運んで来ます。明らかに労働法違反の年齢の子供が働き、学校にも行けない中で、ひとにぎりのエリート層の子供は大学院にまで行ける。社会の階層ピラミッドの頂点以外の子供たちは、中学校も卒業できない現実を目の当たりにしました。
 現在勤めている日本民際交流センターは、タイの経済発展の中で取り残された東北地方(イサーン)の子供たちに、奨学金を援助しています。一年間に一万円で学校に通えます。援助している子供の名前もわかりますので、○○ちゃんを支援しているということになります。ぜひ、たくさんの皆さんのご協力をお願いします。
 今は、活動を通して、個人レベル、グループレベルの支援が、どうやったら地域、国レベルで行えるようになるのか、関心があります。
土井 日本アジア学生交流センターから来ました。アジアの国々との学生交流をやっています。これまでフィリピンやマレーシアをまわってきまして、昨年はベトナム外務省を通じて現地の大学生との交流をやりました。一週間くらいかけてホーチミンとハノイをまわるツアーですが、ベトナム戦争の戦跡や歴史的な場所もまわります。参加した学生からは、「行ってよかった。今まで知らないことが見えてきた」という声が寄せられています。今年の三月にもベトナムに訪問団を出す予定です。
 アジアと日本には歴史的なかかわりがありますので、それを見てもらって、感じたことを日本に持ち帰る。そして、「日本でどうしていこうか」ということを考えてもらう機会として、こういうツアーをやっています。
 参加した人の日本での活動がすごく重要だと思っていますので、大学祭などで催し物などをやって、自分が感じたことをまわりに伝えていくような活動を手助けすることをやっています。昨年はベトナムに行ったということで、参加した人たちがベトナム戦争終結二十五周年を記念した岡本昭彦さんの写真展を行ったりしました。
麻生 僕は昨年の春に、大学の先生が主催するフィリピン・スタディツアーに参加しました。先生はとても戦争を重視しています。日本は戦争の意識が弱い国で、若者にそういうことを知らせたいと思って企画しているツアーです。
 だから、テーマがとても重い。行く前に謝罪のステートメント(声明)をつくらされたのですが、学生たちの間で「おかしいじゃないか」という話になった。自分の親父の親父の世代がやったことに関して、なんで僕たちが謝罪するのか。僕たちがいい加減な気持ちで謝罪するのは、かえって不敬ではないのかと、行く前にもめたんです。
 僕はそれまではアジアには全然興味がなく、戦争だけじゃなくて、経済や宗教についてもわからなかった。フィリピンに行って、生意気いうと視野が広がった感じです。今日もいろいろ知識を吸収したいと思って参加しました。
 六年前に日本に来ました。二十四歳です。二年間日本語学校に行き、それから大学に合格しました。今年の四月に卒業します。工学部で電気電子を学んでいます。
 日本での生活は大変です。学費も自分で稼がなければならない。月に二十万円ぐらいバイトで稼ぎますが、それでも足りない。私立大学に入るには百万円ぐらい必要なので、貯金もしなければならない。バイトに追われて勉強するヒマもない。日本語学校では寝ている状態。授業は聞きたいけど、頭が上げられない。一年間は学費を稼ぐために働き、二年目に一生懸命勉強して、運良く大学に入れました。
 日本の印象は、礼儀正しいし、教育レベルが高い感じがする。道路の信号なども守っているし、歩くのも速い(笑い)。中国ではおじいさん、おばあさんがのんびりと太極拳やったりしている。ヒマな人は通りにイスを出して人を見たり、話したりしている。日本ではそんなことはとてもできない。
 日本人ががんばっていると思うのは、工事現場で白髪のおじいさんとか、高齢者が働いている。中国ではそういう年齢の人は仕事をそんなにしない。日本はそれで経済成長したのかとも思いますが。

戦争被害をリアルに実感

司会 アジアを直接訪問して、戦争認識のギャップや、戦争責任問題をどう感じましたか。

田中 そこは難しいですね。アジアでは国策的に歴史教育をやっているところがあります。日本ではタブー視して教えてない。そこをあまり教えるといろいろと反感が出てくるので、あえて避けている気もします。今日集まっているメンバーのように、現地へ行ってみて実感して、自分で関心をもつことが一番いいのかなと思います。
 その中で自分なりに考えをもつこと。アジアの人と本音で語りあうことが大事じゃないかな。お互いに言い合ってもいいと思う。腹を割って話し合うことで、お互いの歴史認識が深まったり交流ができるのではないでしょうか。
只腰 学校のプログラムに問題があると思います。日本史でも、大切であるはずの近現代史は勉強する時間が短い。すべて学校の責任だとは思いませんが、私たちの世代が今世紀の世界をつくっていく中で、歴史はとても大切です。本を読む勉強だけでなく、まずは相手の顔が見えることが大切だと思います。
 日本民際交流センターのタイ農村研修旅行で、参加者の中に、最初、ニワトリや虫もいやで村の生活が不安という学生がいました。それがいっしょに高床式の家で寝起きしているうちに現地の子供と友情が芽生え、意識が変わっていき、最後は「帰りたくない」と涙の別れになりました。帰国後、「この感動をいい経験をしたということだけで終わらせたくない」という話になりました。タイではどういう生活をしていて、どういう問題があって、日本と過去に何があったかということを勉強した上で伝えていかなければ。私たちは戦争を知らない世代ですが、アジアの人とのつながりの中で過去の歴史を考えていきたいです。
麻生 フィリピンでも、謝罪しなければいけないじゃないかと思うエピソードがたくさんあったんですよ。マニラで朝飯食べるために屋台に行ったら、屋台のおばちゃんが戦争の話を始めた。そこの通りで人が殺されたとか、収容所があったとか。何気ない会話の中で話していく。僕らがステートメントをあげたら、その人がすごく喜んでくれた。コミュニケーションとるときに、こういうことは必要だと思った。
 僕らが受けた教育というのは実感がない。でも、行って見るとリアルなんです。テレビでもどこかで何かが操作されている気がして、実感がない。湾岸戦争のときでも、ミサイルがどんどん飛んだ映像が目に残っている。ああいう映像を見ても射っているところはわかっても、向こうで死んでいる人がいることはリアルに伝わってこない。でも、そこに行って現地の人に会うと人ごとではなくなる。
 あるミーティングで、ものすごい剣幕で泣きだしたおばあさんがいた。通訳の人の話によると、戦争の前の年に結婚して子供が生まれたけど、「夫が戦争で死んで、骨も見つからない。だから日本人が憎くてしょうがない。日本人なんて大嫌いだから顔も見たくない」と。そういう人をもろに見ると、ほんとにマジで「ごめんなさい」と思った。
 戦争末期に日本人が追われる立場になり、恐怖におびえた日本人が人を殺しながらどんどん山の奥に逃げた。そういう話を聞いたときに、日本の殺された兵隊も被害者ではないかと思ったんです。教科書だって、日本は良かったのか悪かったのか書いてない。
田中 僕は立場によって違うと思うんです。アジアに行けば日本は加害者だし、米国などにやられたから日本は被害者だという意識をもっている人もいるかもしれない。立場によっていろいろ違うと思うんです。大事なことは一方に偏らずに、お互いの立場に立って考えた上で、自分はどう思うかということだと思うんですね。
土井 麻生さんの先生のように、極端に謝罪から入るというのはきついものがありますね。でも、国として謝罪するということは、いずれかの時点で必要だと思うんです。これからの時代は私たちの世代が担うことになるわけで、これがいつまでたってもけりがつかないというのはおかしいし、ほっぽっておいていい問題ではない。アジアの人たちが謝罪を求めるのは、日本に、再び軍事大国としてアジアを侵略しないという約束をしてほしい、という気持ちからだと思うんです。
 謝罪についてですけど、僕の年代になると個人的にはあまりこだわっていない。時間がたっていますから。だけど日本政府は正式な謝罪はしていないから、民間の人がいわなければならない状態に追い込まれている。政府が謝っていれば謝罪文を書かなくてもいいと思います。日本政府は謝罪したのかしないのか僕にもよくわからない。朱総理が来た時に、「日本政府は正式な謝罪を一回もしてない」というスピーチを聞いてそうかなと思った。そもそも日本が靖国神社を訪問したりして挑発しなければ、さほど問題にならないことです。そんな話を聞くと、ちょっと腹が立ちます。

日本は魅力ある国なのか

司会 アジアと仲良くしていく上で、どんなことが大事になってくるでしょうか?

土井 バブルのときに日本に留学したけど、つまんなくなったから米国に行きますという留学生も多い。日本を通り越して米国に行く。米国のCIA(中央情報局)が二〇一五年には中国が経済成長して日本はアジアのかじをとれないという報告を出していました。このままでは日本がダメになって、アジアで注目されなくなる。つまんない国だとアジアから思われるんじゃないかという気もするんですよ。
 まわりには日本企業に就職している人もけっこういるんですが、長く日本にいるという人は少ないですですね。
土井 アジアの人たちから、「君たちの国はどうなんだ」とよく聞かれるけど、答えられないことも多い。日本は物質的に豊かに見えるけど、生活は豊かじゃないし、問題が多い。やっぱり自分たちの国をどうにかしなくてはいけないんじゃないでしょうか。それが課題だと思います。
麻生 自分の国のこともわかってない。
田中 意外に知らないね。
只腰 日本の中でも実は貧富の差が激しいと思います。ただそれが日本社会の中ではオブラートに包まれているような感じで見えにくいだけ。海外に行くとそれがリアルに分かりやすい。
田中 米国なんかも分かりやすい。貧富の差がはっきりしている。
 米国はどうか分かりませんが、日本は忙しい国。給料は高いですが、物価も高いからそんなに生活に余裕はないので、がんばらないといけない。
只腰 私たちの世代が動かしていかなければならない。アジアの中の問題を「人ごとじゃない」といつも感じて、問題点にはいっしょに声をあげていかなければいけないと思います。
田中 外交官をやっている人たちもエリートで、現実体験なんかしないでやっている。本来であれば、こういう活動をしていて、現地で生活した人が外交をしていれば違うのかな。僕はこれから必要なことは、一人ひとりの誠心誠意だと思う。急に大きいことはできないと思うんです。僕たちがやっているような小さなことから交流していって、お互い本音を語り合って、そこを広げていくことが一番重要なのかな。
 僕も将来、自分で会社を起こそうとも思っていますし、経済面でアジアの人たちとの交流をはかっていくために海援隊に入っているんです。第二次大戦では日本はまちがった方向にいってしまった。これからは、そうでなくてアジアの人と連携していきたい。

日本が果たす役割とは

司会 アジアの中で日本が果たすべき役割について、まとめてください。

麻生 あらゆるものにはよい面と悪い面があります。それを皆さんはどう判断しているんですか。たとえばODA(政府開発援助)の評価が違う。行く前はひどいものだと思ってたけど、現地では感謝している人もいる。どう判断したらいいんでしょうか。
只腰 さまざまな立場の人から話や意見を聞くこと。現地の人の話を聞いて。国際交流を考えた場合、一つの答えは出てこない。いろいろな考えがあるということを知るという姿勢が、まず大切なのではないかと思います。
田中 どっちかというと、僕はまったく中立はありえないと思います。人間だから自分の気持ちが入る。最終的にはいろんな面を見ながら、自分のスタンスが必要。逆にそれがないと困っちゃうんだよね。アジアの人と話をするといっても、右か左かもわからないような人間とは話ができない。自分はこう思う、君はどう思う、と。お互いに自分の思うことを語りながら、相手の話もちゃんと聞いて、言っていることをわかってあげることが大事だと僕は思うんです。
只腰 日本人の役割という点で、私は「日本人」より「地球人」の役割と考えていきたいです。自分の友人や家族に対するのと同じように、アジアの人びとに対してつき合い、一人でも多くの市民参加を呼びかけていくことではないでしょうか。特に次世代をつくるアジアの子供たちが、将来を自分で選択できる権利をもつための役割は大きいと思います。
土井 私は「日本人」にこだわりたいですね。でも今は、アジアの人に向かって「日本人」だと自信をもって言えるような状況ではないですが。市民レベルでは違いますが、国レベルではアジアを敵として見ている感じがします。アジアの一員として認めてもらえるような国にしていきたいと思っています。だから、日本の政治にも目を向け、自分の中で考えていかなくてはいけないと思っています。
 日本はお金を出すよりは技術を出した方がよいのではないかと思います。これから石油がなくなる問題もあり、代替エネルギーの開発が必要になる。日本は各国にもっと技術を提供してほしい。
土井 規制緩和を進めれば経済が活性化するという意見も強いですが、マレーシアのように規制緩和に反対して、自国産業を発展させようとしている国もあります。無条件に規制緩和を進めていけば、経済力の弱い国が強い国に飲み込まれてしまう、という危機感があるように思います。
田中 僕はパートナーシップが重要だと思う。日本が経済力が上だということではなしに、「お互いに成長していきましょう」という関係が大切。ある意味では競争しあい、ある意味では協力し合って技術提供もする。
 ユニクロは中国でいいものをつくってもらって、日本で売って、お互いに伸びているわけです。そういうパートナーシップが足りないんじゃないか。それは経済的な面もそうだし、政治面でもそうだし。どうしてもアジアを下におきたがる。そうじゃなくて、向こうも伸びて、こっちも伸びていく関係が大事だと思います。

司会
 今日は活発にご発言いただきました。日本がアジアとどうつき合っていくのかという課題は、これからも大いに議論すべきテーマです。二十一世紀を担う若い皆さんの今後の活躍に期待して、座談会を終わりたいと思います。ありがとうございました。