20001215


被爆地長崎を訪ねて
平和公園、原爆資料館を見学

平和考える貴重な体験

大学3年生 杉谷 香織


 長崎へ行ったのは、小学校五年生の修学旅行以来八年ぶりのことでした。正直なところ、長崎の記憶といえばハウステンボスしかなかったので、今回は平和公園や原爆資料館なども案内してもらい、とても有意義な体験となりました。
市内を歩く中でまず驚かされたことは、本当に坂ばかりで、平たんな所を歩くことが少なく、ほとんど上っているか下っているかという状態だったことです。上も下もいつも道路と建物に囲まれているような感覚でした。
 はじめは足の運動にもなるし、単純におもしろいと思っていましたが、町中に張り巡らされている交通網や、頻繁に見かけるタクシーのことを考えると、お年寄りや体の不自由な人にとっては、長崎は必ずしも住みやすいところではないのだと思い直しました。
二日目の夜、お待ちかねの長崎ちゃんぽんを食べに、四人の仲間と町へくりだしました。駅周辺はネオンと人込みであふれ、歩いているだけでウキウキしてきます。おいしいご飯を前に話もはずみ、はずむ話がまたご飯をおいしくしました。
 ご飯の後はみんなでロープウエーに乗り、稲佐山へ。展望台から見た、まさに宝石をちりばめたように美しい夜景は、今でも鮮やかに思い出すことができます。
 無数の光の粒が、山々を抱きかかえているようでした。その光の海を貫くように流れる浦上川の川面には、街の明かりが色とりどりの帯のように垂れ下がり、独特の夜景をつくり出していました。
 しかし、夜景がきれいであればあるほど、ほんの五十五年前ここに原爆が投下されたという事実を信じることは難しく、その美しさを純粋に受け止めることができませんでした。
三日目、地元の大学生に市内を案内していただきました。普段は小・中学生などを相手にガイドをしているということで、説明はとても分かりやすく、じっくり勉強することができました。原爆資料館には修学旅行らしき学生たちの姿もありました。
 案内してくれた大学生の、次のような言葉が今も心に引っ掛かっています。「長崎市内には、平和教育を熱心に行っている学校がいくつかありますが、その一見恵まれた環境の下で育った友人の中には、長年受けた平和教育に対して『飽き』を感じているという声もある」ということです。その話を聞いて、とても残念に思えたのと同時に、過去を正しく次の世代に伝えていくことの難しさも改めて感じました。
長崎へ行って、見たり、聞いたり、感じたことは、私にさまざまなことを考えさせてくれました。好奇心のおもむくままに決めた長崎行きですが、行って本当によかったと思っています。
 同世代の仲間が増えたことも、大きな収穫です。出会えた仲間と、貴重な経験をもとにして、これからどんな活動ができるのか、考えるだけでワクワクしてきます。細かい気配りをしてくれた仲間たちにとても感謝しています。


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