20001205


大村で「再会」上演

中国残留婦人の生きざま描く

長崎県 村越 玲二


 時には笑い、時には涙をぬぐいもせず、どうしてこんなに笑顔がすてきなのだろう…。作者の渡辺義治氏が「上演にあたって」のチラシのあいさつの中で述べたことばです。
 全国でも上演されているようですが、十一月十日、長崎県大村市において、中国残留婦人を取り扱った劇「再会」が上演されました。くしくもこの日は佐世保において自衛隊による大規模な邦人救出訓練が行われ、また大村市においては十月二十九日に道路を封鎖し、戦車を繰り出した自衛隊パレードが行われた直後のことです。
 三百人以上はいたでしょうか、会場となったシーハット大村サクラホールはほとんど満席でした。高校生など若い人たちの姿も目立っていました。日中友好大村市民の会、大村市遺族会、労働組合の連合大東地協、市会議員、個人など有志による上演実行委員会主催によるものです。
 話のあらすじは、町工場を経営している新三のもとに一枚の写真が届けられます。その女性は治(ハル)といい、かつての新三の妻で中国残留婦人として中国から日本へ一時帰国していたのです。死んでいたはずの妻の生存の知らせに、新三はぼう然と立ちつくします。新三は「再会」を決意します。
 そして、ソ連の参戦や逃避行中に女性や子供が殺され、生死の境をさまよいながら生き延びたこと、「日本人は鬼だ」といわれる中で、中国でその罪を背負いながら苦しみ生き抜いてきたこと。治のそう絶ともいえる生きざまが語られていきます。
 こうした治の運命とは無縁に、日本の「平和な戦後社会」ともいえる中で町工場を営んできた新三の家族たち。治のあまりにも重い運命は、不況で四苦八苦し目先の利益をどうするかしか頭にない長男の友好(トモヨシ)の心をついには目覚めさせていくのです。

 感動させられたのは日本の中国侵略の生き証人ともいえるこの残留婦人の生きざまについてです。侵略、殺りくをくぐりぬけて、侵略戦争の十字架を背負って中国で生き抜かねばならなかった中国残留婦人たち。このことを身をもって知らされる思いです。
 それに対して、日本の戦後社会とはいったい何であったのか。確かに経済は発展し、いっけん平和のうちに暮らしてきました。しかし、それが本当の幸せであったのか。つくづくと考えさせられます。
 私自身、毎日の生活に流されながら生きているのが実際です。戦争でたくさんの人たちが殺されたという事実や、その恐ろしさを知っても、しばらくすると忘れてしまいます。でも「アジアとの友好を」というならば、身をもって過去の侵略や殺りくについて知ることが大事ではないでしょうか。中国残留婦人、治の生きざまは改めてそのことを教えてくれるのです。アジアとの本当の友好とは何かを教えてくれるのです。
 上演のあと、治役の横井量子さんや友好役の渡辺義治さんらも加わって有志の方たちで懇親会がもたれました。初めて出会ったばかりの人たちなのですが、これからに向けて連帯感が生まれました。大村の地で、人びとの中に中国をはじめアジアとの本当のきずなが育つように、がんばっていけたらと思うのです。


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