20001125


「教育改革報告」で荒廃進む
現場は身心ともにクタクタ

教師を殺すつもりか

中学教員 松野 文彦


 九月に「教育改革国民会議」の中間報告が出された。これを読んで、いかに現場のようすが理解されていないか、中学の教員をしている私にとって、驚きを超えて怒りさえ感じた。
 学校現場では、あまりにも忙しいことや生徒指導の困難さに、教師の多くは疲れ果てている。私も、ここ十年ほどは日曜日の夜になると眠れず、朝まで熟睡することができない。何となく学校のことを考えて朝になることが多い。仲間の教員でも、休み明けに休暇を取る人が多い。また、精神的なダメージから休職したり、退職していく者も少なくない。
 勤務についても、朝七時三十分から部活動の練習が始まり、放課後は六時頃まで練習がある。土曜の午後や日曜、祭日も練習や練習試合が入ってくる。とにかく余裕がない。受け持ち授業時間も多く、予習してすばらしい授業をやろうと思っても、体がいうことをきかず意欲もなくなってしまう。
 さらに、定期テストの問題づくりや採点、評価など。これらは家庭に持ち帰って夜中までやるのが当たり前になっている。通知票をパチンコ屋などで盗まれる事件がニュースになるが、家庭にまで仕事を持ち込んでやらなくてはならない現実を知ってほしい。
 さらに苦労しているのが生徒指導である。社会のひずみ、それが背景となった家庭崩壊、学校にはこうした問題が凝縮(ぎょうしゅく)されている。「問題」のある生徒に対しては、時には強い指導も必要な時がある。
 生徒は学校で暴れたり、校舎破壊を始める。それを必死で押さえると、今度は鉄パイプやナイフを持ってくる。実際に、そんな場面では一対一で話し合い、説得するしかない。
 私の場合、幸いなことに生徒は鉄パイプを当たらないように投げてくれ、ナイフは私に渡してくれたので事なきをえたが、一歩間違えば大けがにつながる。教員の中には生徒に殴られた人も多い。しかし、その時の事情と関係なく、管理職は教師の指導だけを取り上げて問題にする場合が多い。
 こんな現場の実態をどう考えればあのような提言が出せるのだろうか。「奉仕活動の義務化」「学校間の競争」「教師間の競争」…。これ以上職場を大変にして教師を殺すつもりなのか。
 教師が余裕をもって、安心して授業に打ち込めるような環境をつくることが、また、生徒がゆとりをもって学習でき、生活できるような学校をつくることが肝心なことではないか。それが真の教育改革ではないだろうか。


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