20001115


日本を危うくする「教育改革」

中学校教員 小松 孝生


  ちかごろ私たち教員の間では、子供の「質」が変わった、ということがよく言われます。幼稚になった、常識がない、自己中心的、感情が抑制できない、コミュニケーションが下手、などなど。
 もちろん、子供たちはいつの時代も変わらないすばらしい面をもっているとは思うのですが、否定面は仕事のやりにくさを伴って目につくので、とかく職員室での話題やぐちのタネとなってしまいます。
 ひと昔かふた昔前の学校の「荒れ」は、例えば管理や暴力に対する反抗と考えることもできました。しかし最近は教員もきつく管理しているつもりはない。生徒も必ずしも反抗しているわけでもない。でも従来の学校や授業や常識の枠からはみ出ているのです。多様化する生徒たち(時には親たちも)への対応で、教員は忙殺されています。
 今話題になっている「教育改革」が、こうした教員の悩みを解消してくれるものならばよいのですが、残念ながらまったくその希望はもてません。
 二〇〇二年度から実施される小中学校の新学習指導要領を紹介した文部省のパンフレットには、現状の問題点の分析や、これまでの教育に対する総括がまるでなく、ただ「ゆとり」「基礎・基本」「生きる力」「特色ある学校」といった宣伝文句がこれでもか、と並んでいるだけです。自画自賛しているばかりでまったく説得力がありません。
 そんな絵空事よりも、「教員定数を改善し一学級当たりの生徒数をこれだけに減らすため、予算をいくらつけます」ということのほうが、私たちにとっては、はるかにありがたいのですが…。
 この九月に中間報告を出した首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」なども、私たちの願いとはかけ離れたところにあります。だいたいその構成メンバーからして、「国民会議」などと名乗る資格もありません。
 中間報告の内容も、文部省の宣伝文句と同様、これまでの支配層の教育政策への反省がなく、美しい言葉だけが並んでいます。そして現在の教育問題があたかも学校や教員が「ぬるま湯につかって」努力しないためであるかのように描いています。困難な状況の中でまじめに働く多くの教育労働者をばかにする、ほんとうに腹立たしい論調です。
 このほかにも、現在、学校選択制、中高一貫校など学校制度の複線化、教員の民間での研修、管理職の民間からの登用、学校評議員制度、勤務評定(人事考課制度)などが次々に計画・実施されつつあります。
 また一方で「日の丸」「君が代」の強制や、歴史教科書に対する攻撃も強まっています。支配層は困難な教育の現状を都合よく利用し、いかにも教育をよくするかのように見せかけて、現在の公教育を解体し、資本の新しいニーズに合った教育を進めようとしているのです。
 文部省や支配層のいう「教育改革」は、現状を解決しないばかりでなく逆に日本の進路を危うくするもので、大変な問題です。このまま憲法・教育基本法改悪、徴兵制まで突っ走られてはかないません。彼らの狙いを見抜き、声をあげていかなくては、と思います。教員以外の労働者も親たちも若者も、ぜひ関心を寄せてほしいです。


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