20001105


暴力と非民主主義の象徴――
卒業式では前夜から抗議

大学に「日の丸」はいらない

一橋大学学生 炭谷 昇さんに聞く


 国旗・国歌法の成立により、教育現場での日の丸・君が代の強制がいちだんと強まっている。東京・国立市では、今春から産経新聞や右翼団体が、日の丸・君が代に反対する市民、学生、児童を攻撃するキャンペーンを続けている。これに対し、市民たちは「国立の教育を守る市民連絡会」をつくり反撃を強めている。同市にある一橋大学の学生たちも、学内での掲揚に反対する闘いを進めている。「日の丸・君が代はいらない! 一橋ネット」の炭谷昇さんに話を聞いた。(N)


■日の丸掲揚に反対する運動を始めたきっかけは?
 もともと一橋大学は祝日に正門に旗をあげ、学生がすぐに降ろすということをやっていました。
 しかし法制化が打ち出された後、気付いた人が個人で旗を降ろすのではなく、もう少しきちんと位置づけてやろうということになり、九九年九月十五日に僕も初めて旗を降ろしました。その後、祝日ごとにやりましたが、そのころは守衛さんも学生も「和気あいあい」という感じで、「降ろす」というよりも「片付けて返す」という、まったく平和的なものだったんです。
 状況が変わったのが、十一月十二日の天皇在位十年式典でした。大学は多くの学生・教職員の抗議にもかかわらず「何が何でもやる」という態度で掲揚を強行しました。その暴力性を体験して、「これはおかしい」という確信が強まりました。それまでは頭ではわかっていてもリアリティがもちづらかった。これがきっかけです。これが、僕が「日の丸」問題に関わるようになったきっかけです。

■大学側の対応は?
 十一月十二日の一橋での抗議行動がマスコミで報道されたこともあって、大学からは「粛々と混乱なく掲げる」ために、三月の卒業式に向けて事務棟の屋上にポールを建てるという話が出てきました。
 大学側はポール設置の決定は「学長の専決事項」だから、教授会にかける必要もない、学生に話す必要はない、情報を提供する必要もない、という態度でした。
 突然の工事着工に抗議し、屋上で説明を求めていると、ちょうどその日は国立市の中学校の卒業式だったのですが、中学校の屋上にもはじめて旗が掲げられているのが、見えました。
 結局、その日はフェンスはつくられたのですが、ポール設置はされませんでした。学生側は屋上を降りる条件として、ポールを建てる時の事前通告を要求し、約束させました。ところが、大学側はこの約束を破ってポールを建てたんです。そういうやり方に腹がたちました。
 あまりにひどいやり方が続いたので、卒業式には、前夜から事務棟に座り込みました。夜から学生部長らともめましたが、朝になって学部長も処分や警察導入をちらつかせたり、「国旗・国歌を尊重しないのは憲法違反だ」など脅してきました。警察は実際待機していたらしい。そのため、式が終わるまで、旗を降ろすことはできませんでした。
 その後、入学式から事務棟の屋上に旗が掲げられ、外部のガードマンによる警備や身分証チェックなどもありました。
 小渕前首相の葬儀、海の日、ながこ(皇太后)の葬儀の日にも抗議集会も行いました。大学として弔意を示すことは、おかしいと思います。十月二十五日には一橋大学の百二十五周年記念の式典がありましたが、ここでも日の丸掲揚に抗議しました。

■学生の反応はどうですか?
 学生たちが表に出てくることはあまりありませんが、一橋大の学生がやっているインターネットの掲示板で、議論がいろいろありました。日の丸問題では三百件ほど議論が続いていました。「旗を降ろす奴らはおかしい」という意見ももちろんありましたが、「大学のやり方はおかしい」という意見もありました。
 僕自身、一年活動する中で、ますます日の丸に嫌悪感が出てきた。この旗が侵略戦争でどう使われているかが、リアリティをもってわかってきたんです。
 日の丸掲揚に反対する学生の多くが感じていることは、まず学内民主主義の問題でしょう。文部省の指示だからといって、話し合いの場が確保されないことに対する違和感。説明すらしないで強行する態度が許せない、ということです。
 それから、ここから先はいろいろあると思いますが、日の丸という旗のもつ意味です。一橋も日の丸を掲げていろいろと侵略戦争・植民地支配への協力・動員をしていました。日の丸の暴力性は、決して過去だけのものではありません。国体や天皇関連の行事の時の弾圧もすごし、世羅高校の校長の自殺という事件もあった。民主主義的手段をふまないというのは、日の丸の本質だと思います。
 一つの旗のもとへ統合されて黙らされてしまうことへの拒否感があります。大学は歴史研究も行っているし、国家と距離をおかなければいけないというのが、戦前の反省もふくめてある。現在、在日外国人、留学生だってたくさんいる。旗をあげたもとで、何を一体研究するのか、問われていると思います。

■これからの活動は?
 やはり卒業式がどうなるかですね。これまで、日の丸が式場に持ち込まれたことはないのですが、そこが心配です。
 ポールにあげられてしまうと、旗を降ろすことは難しくなります。学習会や冊子を出していくような活動をやりつつも、抗議行動を続けていきたいと考えています。百二十五周年式典の時は、正門に自分たちでつくったまったく別の旗を掲げた人もいました。
 国立五大学連携問題、産学協同推進、独立行政法人問題、学長選挙問題など、競争原理徹底をめざしたさまざまな問題がありますが、日の丸問題で一気にこれらが加速されていくという感じがします。大学が息苦しくなっています。教員にももっとがんばってほしいですね。
 僕は、「日の丸・君が代」くにたち・一橋メールニュースを出しているので、状況を心配してくださる全国・海外の皆さんから応援の声もいただいています。
 でも、一番の応援は、国立を特殊な地域にせず、各地で「日の丸・君が代」や天皇制を問題化する取り組みが起こっていくことだと思います。皆さん、各地で声をあげましょう。

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