20001105


日蘭戦争原爆展
平和と共生の21世紀を

市はやらず、市民が取り組む

長崎市議会議員・中村 すみ代


 大分県臼杵市で九月二十九日、オランダ国立戦争資料館提供、日蘭交流四百周年記念事業臼杵市実行委員会主催の「日本人、オランダ人、インドネシア人ー日本占領下におけるオランダ領東インドの記憶」展(会期九月十六日〜十月一日)を視察しました。
 その日はあいにく今にも雨が降り出しそうな天気で、見学者もまばらでしたが、県内外の反響が大きく、すでに千四百人近い人びとが入館しているとのことでした。人口三万六千九百五十六人の臼杵市としては、かなりの入館者数といえるのではないかとの館長の話でした。
 日蘭の交流の歴史には、第二次世界大戦においてインドネシアを植民地としていたオランダと、インドネシアを侵略し占領した日本という関係の中で、相対立した不幸な時期があったという歴史の事実を認識することは、たいへん重要なことだと考えています。このような意味からも、今回二十一世紀へ向けて新たな友好交流の推進をはかろうとされた臼杵市長の決断に拍手を送りました。
 一方、わが長崎市はオランダ側の開催にむけての打診があったにもかかわらず断ったということで、市民の間からは市長の姿勢に批判が高まっていました。私は今年の二月、「オランダ戦争展」の開催に向けて取り組みを開始していた福岡県水巻町と臼杵市を視察した経過は、すでに労働新聞に投稿しておりますので、読んでいただいた読者も多いかと思います。
 私は両自治体の視察の結果も踏まえ、六月議会においてオランダ戦争資料館企画「戦争展」について質問しました。市主催による開催についてはあくまでも拒否しましたが、長崎市の姿勢を批判し、民間で独自に取り組もうとしている動きに対しては資料提供などの協力をしたいという回答が出されました。
 現在、民間レベルで多くの市民の皆さんの手によって、日蘭戦争原爆展実行委員会が結成され、十一月十七日〜十一月二十三日開催に向けて努力が重ねられています。
 実行委員会発行のパンフレットによれば、展示の内容はオランダ人、日本人、インドネシア人による日本占領下インドネシアの記憶と、長崎原爆と外国人被爆の実相を二つの柱に、これらの歴史に触れながら戦争の加害と被害を見つめるものです。同時に原爆(核兵器)とは人間にとって何であったかを問い、戦争も核兵器もない二十一世紀の平和と共生の世界をつくり出すための手がかりにしたいとしています。
 日蘭両国の真の友好を願う市民有志の手になるこの展覧会が多数の参加者によって大成功のうちに終了することを願わずにはいられません。もし、民間による開催がなかったとしたら二十一世紀におけるオランダとの信頼にもとづいた関係を構築できるかどうか。このことを考えたとき、今回の開催の意義は、はかりしれないものがあると確信します。 


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