20000925


水害で製造ラインも停止
冷たい労組に反発

被災の同僚へ職場カンパ

自動車労働者 青山 元


 県下全域が四十年前の台風以来という集中豪雨に見舞われ、堤防の決壊や大量の雨水によって大きな被害を受けた。特に被害の大きかった地区では町のほぼ全域が水につかり、ライフラインは完全にストップした。
 住民の多くは小学校などで不自由な避難生活を強いられたが、食料も満足に与えられず、情報も少なく県や町役場への不満と怒りは募るばかりだ。また、新築の家屋を流されたり、家財をすべて失い途方に暮れる住民、いきなり枕元に流れ込んだ濁流から命からがら逃げ、屋根の上で飲まず食わずの一日を強いられた恐怖を語り、ボランティアなどの社会的支援を訴える人の話には胸を締めつけられる思いだ。
 私の家の周辺では大きな被害はなかったものの、鉄道や道路の冠水が相つぎ、あちこちで水につかった車が放置されている。主要な道路は水に阻まれて、朝の出勤時間帯は完全に交通マヒに陥った。それでも真面目な労働者たちは早めに家を出て、水の少ない道路を探しながら工場に向かう。そんな車が何台かかたまって農道を行ったり来たりしている。
 私の車もそんな渋滞にすっぽりとはまってしまった。やむを得ないのだ。これは「天災」なのだから。車は五メートル進んでは五分止まり、また五メートル進んでは五分止まる。しびれを切らした車はUターンしたり、脇道に入ったりしているが私は新聞を読んだり、ラジオを聴いたりして五メートルを待っている。対向車を止めて前方のようすを聞くと、この先の交差点に水がたまっていて渋滞しているという。やっぱり、そこかと納得。そして、また五メートルを進む。これは「天災」なのだ。それでも、やがて工場に着いた。
 ラインはさすがに動いていない。こんな水害の後だから当然だ。ラジオのニュースでも下請けのA社など何社もが水浸しだといっていたからだ。すでにラインの横で部品をそろえたり、組み付けをやっている者もいる。以前、職場にいたB君がいたので「おはよう! 君の家には水は来なかったかい」と聞くと「はい、でもCさんの家は床上浸水ですよ」と言う。
 周辺にも被災者はいるな、労働組合はカンパ活動をやるのかななどと考えてロッカールームに行くと、向こうから大声を出して迫ってくるやつがいる。K組長だ。誰に怒鳴っているのかと思ったら、どうも私にのようだ。「おい! 青山、お前、今日は遅刻だな!」とぬかす。あきれ返った私が「遅刻とは何だ! これは天災で不可抗力なんだぞ、こんな水害の後に出勤したんだから、ありがたいと思え! 第一、部下が水害に遭ったのではと心配するのが職制の役割ではないか」と言い返すと、そのまま回れ右して事務所に帰ってしまった。後でわかったことだが、水のために遅れた者は私以外にも随分いたようだ。それを知っていればもっとコテンパンにやっつけておくのだったと後悔、後悔。
 休憩時間には当然ながら水害のこと、Cさんの家の被害のことが話題となった。職場委員のF班長の話では、組合からの見舞金はわずか二万円だという。「選挙やお祭りには何千万円も使うのに、家が浸水した組合員には見舞金がわずか二万円かよ」とみんなで怒りまくる。後日、みんなから水害見舞いカンパの提案があったのは当然だった。 


Copyright(C) The Workers' Press 1996-2000