20000915


下請けがつぎつぎに廃業
現場では忍従の毎日

いつまでも黙っておれぬ

電気工事労働者 大森 和郎


 出口のみえない不況でも、銀行や大企業には、国民のばく大な血税が「公的資金」としてつぎ込まれ、手厚い救済の手がさしのべられている。最近の新聞をみれば、大企業は軒並み大幅に収益を増やしている。それと比べて、たくさんの零細な中小、下請けの会社を国が守ってくれることはない。
 私は電気設備工事にかかわる、小さな会社で働いている。それこそ吹けば飛ぶような会社だ。この業界は、バブル期が絶頂で、これがはじけ、ゼネコン企業の凋落(ちょうらく)と、長い景気の停滞、公共工事の抑制などが響いて、たくさんの下請けの業者が廃業に追い込まれている。
 年間を通して、二つか三つの現場をかけもちすれば、大きなもうけはなくても、そこそこの生活は守れたが、いまはまったく仕事が出ない。たまに仕事の引き合いがきても、数年前からみると、単価の切り下げで採算に合うものではない。
 職人さんを数人抱えて成り立っていた仕事が、今では職人を抱えることもできず、事業主としてではなく、一人の労働者として働く人が多い。しかし、不景気と失業の時代には思うような就職先もなく、五十歳代では面接に行ってもほとんどが断られる。だから多くはまったくはたけ違いの仕事に就いている。
 こんな中でも、私の会社は、元請け会社との長いつきあいもあって、この期間も何とか生き延びてきた。専門的な技術もあってやってこられたと思う。
 しかし、現場での仕事は、窮屈になってきている。さまざまな業者が出入りする現場では、管理が一段と厳しくなっている。労働者一人ひとりの健康管理から、資格など、以前は問題視されなかったことが、チェックされる。仕事の工程も、こちらの経験からやりやすい段取りで進めても、それが元請け企業の指示で変更されることも多い。逆らえば、「もう来なくてよい」の一言で出入り禁止となる。
 この業界は、工場で何かを製造したり、事務、営業などの労働現場と違い、安全管理には厳しいが、他の労働条件はあってないようなものだった。しかし、そうはいっても常識的なところで折り合いがついていた。しかし、今はその「常識」が通用しない。働く者にとっては、忍従(にんじゅう)の毎日で気持ちが晴れないことが多い。こういう現場の実態は、たぶん今の企業社会では多かれ少なかれどんな職場にもあると思う。
 しかし、この不平等きわまりない状態は長くは続かないとも思う。労働者はいつまでも黙っておれないから。 


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