20000905


沖縄サミットに思う

沖縄の主権は誰が守る?

東京・中川 晶輝


 沖縄在住の友人に送った手紙の一部を紹介させていただきます(八月四日記)。
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 昨今は新聞もTVも、沖縄サミットに総動員されているようなマスコミの姿勢ですが、沖縄住民の反基地の怨(おん)念と結びつけて報道せざるをえない(報道管制の圧力を超えて)、事実そのもののもつ強さを覚えます。
 たしかに、かつて米国の支配から離脱し、日本本土へ復帰することに喜びと希望を抱いたのは、まさに平和憲法をもつ日本本土を期待していたためでありましょう。ところが、いざ復帰してみると、それは米国支配の下にある再軍備志向の日本であり、それに失望した沖縄民衆が、そのような日本から離脱し独立を志すようになったのは当然でありましょう。
 そこで私がご質問いたしましたように、そのような独立運動をしておられる方々が本土の裏切りに抗して、世界に類のない平和憲法を堅持する独立国沖縄をめざしておられるのか?
 もしそうであるならば、われわれこそ「平和憲法本土」沖縄への復帰を志すべきでありましょう。かつての大日本帝国という悪魔の国への回帰をもくろむ首相や、学校に「血の丸」掲揚や「死にが代」斉唱を強要する文相の存在するこの国から離脱したい。
 本来なら、六〇年安保闘争では国民の手で岸首相の首を切った貴重な体験を生かし、今こそ主権者の意向に背く不届き至極な「召使い」の首を切って、平和憲法の国日本へと復帰せしめるべき責務があることを思わされます。
 望むらくは、サミットを契機とする沖縄の「独立運動」が成功し、日本の、米国に追随して再軍備を策する政治屋どもに衝撃を与え、平和を愛する国民の公正と信義が、戦争の惨禍をつくり出す「政府の行為(日本国憲法前文)」を破砕するに足る条件が育成されることを。
 米軍基地の七五%が沖縄にあることの不合理性はだれしも認めることであり、日本内地への移設を叫ぶことに合理性がありましょう。ただし、沖縄の方々はジョーカーを他へ押しつけるだけでよしとせず、ジョーカーそのものを抹殺せぬ限り真の解決はないと考えておられると思います。
 しかし、戦術的には沖縄の全基地を日本内地に移転させることが、全日本人を「反基地闘争」に駆り立て、政府をしてなんらかの対策をとらざるをえないところにまで追い込むことに意味があるのではないか。
 それだけに、沖縄の「独立運動」は大いに支援したい。平和憲法を見捨てた日本は、沖縄から見捨てられるぞ! と日本の腰抜け政治屋どもに思い知らせてほしい。
 米軍人による沖縄の少女に対する強制わいせつ事件に対し、日本政府は裁判権を放棄したという。何という腰抜けか。一方、クリントンが謝罪表明をしたとマスコミは大きく取り上げ、稲嶺知事がこれを「重く受けとめた」と報道しています。
 そんなことで問題は解決しない。基地が存在する限り、こうした「不祥事」は続発するであろうし、そのつど、クリントンが謝罪してもそれは「軽く受け止め」ざるをえないでしょう。もしも彼に、本当に謝罪の気持ちがあるのなら、犠牲になった少女の家庭にまでおもむいて、本人の前で土下座するくらいの誠意はないのか。
 日本政府は主権国家として犯人を逮捕し、日本の法律によって裁き、厳罰に処してしかるべきでありましょう。もしそうでないなら、日本政府は沖縄に対し主権をもちえず、沖縄の独立を認めざるをえまい。
 沖縄の米軍兵士やその家族たちに、沖縄の民衆と友好関係を保つよう、大統領は呼びかけているわけですが、基地の存在と友好関係とは両立しえない。
 米国がまず沖縄から基地を撤去し、続いて他の諸地域の基地も次々と撤去し、自国からも一切の軍隊を撤去して、自ら非武装平和国家となるならば、初めて真にすべての国々と友好関係を確立しえるでありましょう。
 


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