20000805


青年 嘉手納基地包囲

巨大な基地が小さく見えた


 沖縄サミットを前にした七月二十日、沖縄の嘉手納基地を人間の鎖で包囲する行動が二万七千人の参加で成功した。この闘争には多くの青年・学生も参加し、米軍基地への怒りをいっそう強めた。包囲行動に参加した大学生の手記を紹介する。


本土の学生ら10人と参加
大学生・平良 ひな

 私は沖縄の宜野湾市出身で、本土の大学で学んでいます。大学では沖縄出身者や沖縄の問題に関心のある学生を集めて、学習会を月二回ほど行っています。今回の嘉手納基地包囲行動に、その学習会のメンバーなど十人と一緒に参加しました。
 個人的にはかなり以前から「参加してみたい」と考えていたのですが、大学の試験期間と重なっていることもあり、他の人は参加しないだろうと考えていました。
 七月に入ってから「とりあえず他の人も誘ってみよう」と声を掛けたところ、結構多くの人が包囲行動のことを知っていて、かつ何人かが試験期間にもかかわらず「一緒に行こう」ということになりました。独自にチケットをとっていて「現地で合流しよう」という人も何人かいました。予想よりはるかに多くの人が基地問題に関心をもっていただけでなく、参加に意欲をみせてくれたことに、私自身もガゼンやる気になって、勇んで沖縄に向かいました。
 十九日に那覇空港に着いた直後から、イヤホン+サングラス姿の私服警官の多さに驚きました。何十人もの怪しげな服装をした人が、イヤホンで連絡を取り合ったり何やらメモを取り合ったりしている姿に、サミット警備のすごさを実感しました。
 街中でも、警棒をもった警官や装甲車があちこちで目に付きました。特に米軍基地のゲートの前を厳重に守っている姿を見て、友人が「逆やろ、お前ら。県民を守らんかい!」と言っていました。
 包囲の前の晩、大田昌秀平和研究所勤務の島袋博江さんが呼びかけた「米軍基地にレッドカードを」運動を意識して、皆で赤い帽子やTシャツを用意し、赤い画用紙に「米軍は出て行け」などそれぞれ思い思いの言葉を書きました。いざメッセージを書くとなると、その人の人柄などが出て面白いと感じました。
 当日は沖縄らしい強い日差しの下、いつもの米軍機の爆音に代わってマスコミや警備のヘリコプターの音が時折響くなか、基地の周りにぞくぞくと人が集まってきます。私たちは、昨日の画用紙をTシャツに張って、嘉手納基地の第二ゲート付近に行くつもりだったのですが、すでに場所を取られているということだっのでコリンザというショッピング施設の近くの金網の前に集まりました。ここは目の前が高速道路で、その向こうが基地になっていて、正確には基地の金網ではなかったのですが…まあそれはよしとしましょう。
 隣に兄弟と親一人を戦争で亡くしたという八十歳のおじいさんが参加していました。出身地は嘉手納基地の滑走路あたりだそうで、戦争は嫌だから来たそうです。沖縄市の嘉間良から一人で(!)歩いて来たというのには驚きました。友人だけでなく、戦争の記憶を持ち続け一人でも行動しているこのおじいさんも一緒に手をつないで基地包囲の鎖の一部を担えたことは素直にうれしいものでした。

基地撤去の思い新たに


 三回の包囲行動の間、日差しをさえぎるもののない道路際でしゃべったりしていたのですが、木陰で休んでいた人が場所を分けてくれたこともあり、「皆で一緒にやっている」という実感がわきました。包囲行動は結局三回目だけが成功したようですが、皆の手で包囲できたと思うと、いつもはバカでかい嘉手納基地がちょっとだけ小さく感じられました。
 包囲行動後に集会に参加するためにタクシーを利用して移動したのですが、その運転手さんは前回の嘉手納包囲に家族で参加したそうです。今回は仕事が入っていたので、参加できなかったのだそうです。「今日はどうせ暇だったから、昨日仕事して、今日は休みにしておけばよかった。そうしたら、嘉手納包囲に参加できたのに。ははは」と言っていました。
 何気なく、当たり前にこんな会話ができる人がいることを知って、結構うれしいものがありました。やはり、多くの人が実は「基地はいらない」と感じているのでしょう。報道によれば、スミス嘉手納基地司令官は包囲行動に関し、「県民の総意ではない」との声明を出したということですが、そっくりそのままその言葉をお返ししたいですね。
 包囲後の集会では、女性たちが前面に出ているのが印象的でした。また、韓国、プエルトリコ・ビエケス島、フィリピンなどから報告がありました。ビエケス島の漁師で反基地闘争をしている人は、四歳の頃家を米軍のブルドーザーにつぶされたそうで、米軍は地球上でまったく同じ残虐行為を繰り返していることを改めて感じました。
 今回沖縄に帰って、嘉手納基地包囲行動に参加し基地撤去の意思を新たにするとともに、サミット時の沖縄の状況を知ることができ大変よかったです。同時に、一緒に参加した本土の友人が沖縄の状況を知って、今後を考える上でよい経験になっていればいいなと思います。


沖縄大好き
基地のない沖縄を見たい
大学生・川村 良子

 七月二十日の嘉手納包囲行動に参加した、本土の大学四回生です。昨年の夏に初めて沖縄に旅行して、今までのリゾートという沖縄像と基地の存在がある沖縄とのギャップに関心を覚えました。
 沖縄について深く知りたいと思い、自分なりにいろいろと本を読んだりするところから始めましたが、本土メディアのコメンテーターの話と沖縄の人の話はかなり違っています。現地で沖縄の人の話をじかに聞きたいと思い、包囲行動の時期に知人と沖縄に行きました。
 二回目の沖縄訪問ですが、ますます私は沖縄が好きになりました。ですから、包囲行動の時には「基地のない沖縄が見たい」と書いた赤い紙を背中に張って参加しました。沖縄が好きだからこそ、基地のない沖縄を見たいと思いました。本土に帰ったら、マスコミで報道されている沖縄ではなく、私の見聞きし感じた沖縄の状況を友人に知らせたいです。嘉手納包囲行動に参加しているのも沖縄の一般の人が多かったと聞きました。普通の学生の私にもできることはあると実感しました。 


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