20000725


文化 松竹大船撮影所閉鎖は大きな損失

映画は心を潤す産業

松竹労働組合大船分会委員長 土山 正人さん
松竹労働組合中央書記長 梯 俊明さん


 松竹は昨年十月、大船撮影所(神奈川県鎌倉市)の閉鎖・売却を発表した。大船撮影所で働く人びとは、日本映画の拠点として歴史と伝統をもつ撮影所を守る闘いを開始した。この闘いは映画人や映画を愛する人びとの共感を呼び、「大船撮影所の存続を」との声が全国に広がった。しかし六月三十日、数々の名作を生み出した大船撮影所は六十四年間の幕を閉じた。大船の職能を継承する新撮影所建設の闘いは、これからが本番だ。松竹労組の方々に大船撮影所と日本映画に寄せる思いを聞いた。


閉鎖に大きなショック

 土山 僕は照明助手をしています。撮影所には百人ぐらいが働いていますが、そのうち組合員は四十四人です。映画を一本とるのに撮影日数は四十日前後。準備とあと片付けを含めて、撮影中は二カ月、三カ月休めない。
 鉄の扉で遮断されたセットの中に入れば、昼間といえども太陽が入ってこない。一晩中あかあかとライトがたかれていれば、昼間のようになる。一日が昼間であったり、一日が冬の夜であったりとか。夏は冷房をかけても、照明の足場なんかは四十度を超えます。
 撮影所では、目の前に寅さんがいたりするわけです。映画をつくる雰囲気、それがみんな好きなんですね。やっている最中は「今日は何時に終わると思う?」とか「いやだ、いやだ、徹夜が続いてなぁ」って文句を言う。でも作品が終わったら、急にさみしくて恋しくなる。作品が大ヒットしたときには非常にうれしいですよ。
 僕もほんとうに大船が好きで、緑豊かな温かい空気の中の撮影所だったと思います。休みの日にも、みんなが撮影所にひょっこり顔を出したりしていましたね。大船というと特別な扱いをしてくださる俳優さんたちも多くて、「ここに来るとほっとしますね」と、有名な女優さんが話をしてくれるんです。ここで育った役者もスタッフも皆やさしいんです。
 閉鎖が通告された時、組合としては即座に闘争態勢をつくったのですが、組合員のショックが大きく、実際に気持ちが一致するまでにはかなり時間がかかりました。

支援の輪が全国に広がる

 土山 ちょうど「釣りバカ日誌イレブン」の撮影中にこの問題が出ました。西田敏行さんと三国連太郎さんに、激励のメッセージいただけないだろうかとお願いしたわけです。そうすると西田さんがすぐに直筆でメッセージを書いてくださった。三国さんは、私が偉そうにそういうものを出せる部分がないので、映画の中でそれを語りますといってくださった。三国さんは、監督と一緒にセリフをなおして、リストラに反対するメッセージとして、われわれにエールを送ってくれた。
 若手の演出部の情熱とがんばりで、俳優さんたちからのメッセージが約二百通も集まりました。芸術、文化とまでいうと大げさかもしれませんが、ゼロからものをつくっている場所ですから、非常に大事なんだ。こういうものをいとも簡単にお金に置き換えることは間違いなんだという気持ちを、みんなもってくれたと思うんですね。
 梯 組合の仕事で足しげく撮影所に通うようになって感じたのは、大船には独特の雰囲気があるということです。これをなくすわけにはいかんという思いにかられました。撮影所にはそれぞれに引き継がれたものがあって、撮影のやり方にしても美術の小道具の置き方にしても一つずつ違う。撮影所に息づいてきた職能を継承した人たちが、次に継承する場がなくなる。
 ほとんどの人が「大船撮影所が売却されるんです」というだけで理解してくれ、半年で五万二千人の署名が寄せられました。経営陣で撮影所を理解してくれている人は、ほとんどいない。そういう人からみれば単なる資産にすぎなかったのか…今でもそんな気がします。

大船撮影所の大きさを知る

 土山 組合は六月二十九日に第三ステージで報告集会を開きました。リストラの世の中で、契約者の社員化までかちとったので勝利的というふうに言っているんですが、ただ、いくら条件をかち取ったところで、大船撮影所を失うということは、てんびんにかけられないくらいの損失です。全国の支援の輪の広がりによって、大船撮影所がそこまで浸透していたんだということを改めて感じました。報告集会で僕は「ありがとう」としか言えなかったですね。
 書記局は最後まで撮影所に残して置かなければいけないと思いましたので、最終日の夜明け前に荷物をまとめました。闘争日誌を書くあたりから、自分としても涙が流れてくる。集会ではぜったい泣くまいという決心があったのですが、一人になると気持ちが弱かったですね。
 撮影所の中には、もっていけない機材も残っているんですよ。それはそのままステージとともに運命を終わって壊されてしまう。今まで僕たちが大事に使ってきたものですから、申し訳なくて、いたたまれない心境です。

鉄砲より映画助成を
 
 梯 日本映画は産業的にはずいぶん落ちこんでいます。他の会社の撮影所も危機的です。若手が育ちにくい環境で、制作にお金がかかる。日本の文化助成はあまりにも貧困です。各国と比べても映画に対する寛大さがない。
 国で映画の撮影所をつくれという声もありますが、今のままだとその撮影所を借りる元手すらない。そうすると、企業がそこを独り占めするということになる。それでは文化としての映画が発展しない。それよりもまず制作、映画のソフトに助成が必要です。これも息の長い闘いになるでしょう。
 土山 税金の使い方としては、映画に助成するほうが、鉄砲の玉よりはましなはず。飯を食うことには役立たないけど、心を潤すことにはなると思う。心が豊かになっていない国民がいる国は本当に豊かな国といえるのか。物質だけじゃない部分に僕らは、少しでも光を当てれればと思います。
 それから、映画に働くスタッフは会社にほとんど属していません。八割がフリーと呼ばれる人です。年収でみればほとんどが低く、労基法の目が届かない労働条件の中で働いています。そういう人たちがほんとうに日本の映画を支えているんです。
 会社は二〇〇二年に新しい撮影所を東京・木場につくると約束しました。必ず新撮影所をつくらせて、そこで松竹映画をつくる。やっぱり松竹さんだね、という映画を提供することで、皆さんのご支援に対するお礼にかえたいと思っています。 


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