20000705


アジアに生きる若者たち

新参日僑人バンコクへ参上(7)

海援隊(海外展開企業等を支援するネットワーク組織隊)
代表幹事 増田 辰弘


 最近、特に人材の流動化が激しい。日本的雇用の代表であった終身雇用は終えんをとげた感がある。そして、この現象は国内だけでなくアジアにも広がりつつある。インターネットはこの流れをさらに加速させている。
 先日、バンコクで日系企業を八社ほど回ったが、そのうち三社は日本向けにインターネットで求人し、応募した若者が入社していた。バンコクのダウンタウンにある日系の印刷会社「クリエイティブ・グリーン・スタジオ」でアートディレクターを勤める沢田英明さんもその一人である。
 昨年暮れにバンコクに来る前は、日本の大手広告代理店に勤めていた。日本の大手企業から、給料は半分以下に減り、将来に保証のない、しがない中小企業に。思わず「なんで」と叫びたくなるが、本人は喜々として屈託がない。そして、確実にいえることは、今の日本の若者は中高年に比べ踏ん切りがよいことである。
 自分は何のために生きるのか。そもそも自分とは何者なのか。この大きな課題に今の日本の中高年者は逃げて、逃げて、逃げまくって生きてきた。家族がある。生活がある。いろいろ言い訳をつくって逃げてきて、そして何が残ったか。
 六十歳の定年を迎えると、小さな家と自立した妻と、親父の生き方を理解せず、言うことを聞かない息子と娘が残った。行き暮れて帰る家なし。これが日本の多くの中高年者となった親父の後ろ姿である。沢田さんたちの世代にはこれが見えるのである。だから、多少の安定は犠牲にしても、思い切って生きれる。
 「クリエイティブ・グリーン・スタジオ」は、元気いっぱいの会社である。沢田さんはここでデザイン部門を担当している。日系企業は、日本国内と同様、注文は丸投げだが仕事の仕上がりには厳しい。今までの専門的能力を生かして、これをカバーする仕事である。
 同社は、社員は十人にすぎないが、日本人社員が四人もいる。これはユーザーである日系企業がデザイン、色彩、綴(とじ)しろなどの品質管理に厳しく、とてもタイ人のセンスでは追いかけきれないためである。同社が受注している主な仕事は、会社案内、カタログ、チラシ、名刺などさまざまである。これを英語、日本語、タイ語の組み合せで書くから、デザイン一つとっても結構難しい。
 沢田さんが同社に入社してから一新されたことがある。それは会社の管理形態のなかに大組織のものを少し入れたことである。営業計画、財務管理、顧客管理など今まで勘でさばいていたことを少しシステム化した。この程度でも小さな会社はみるみるうちに甦(よみが)える。
 「今は少しずつタイの国に慣れていく時期です。二、三年後から私なりのアプローチを本格的にしていきたい」
 沢田さんは、タイにもう何年も住んでいるかのように落ち着いた語り口で話し出す。日本がダメならアジアがあるさ。大手がダメなら中小企業があるさ。自分の行く方向はどこなのか、そこに何があるのか。沢田さんは新参の日僑(にっきょう)人だが、ここのとらえ方だけは万全である。
【増田辰弘氏の連載は今回で終わります。次回からは、海援隊のもう一人の代表幹事である牟田口雄彦氏の連載が始まる予定です】 


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