20000705


米軍基地、ひめゆりの塔…

最後の社員旅行は『沖縄』

ガイドさんの話胸に響く

印刷工場労働者 吉村 香代


 春闘の賃上げ交渉は、最悪の経営状況のなかで、第一次回答から一円も上乗せできなかった。妥結額は昨年の半額以下のまま、社長の報酬一〇%カットなど、経営責任を引き出して妥結せざるを得なかった。妥結直後の全社朝礼で、「二年に一度行っていた社員旅行は今年を最後にする」と発表があった。サミットを翌月に控えた沖縄に最後の社員旅行に行ってきた。
 社員旅行はいつも六月、いつも雨。シーズンオフの梅雨時は安くなるそうだ。中小企業の社員旅行で二泊三日は贅沢(ぜいたく)と言われるが、私たちも毎月二千円を積み立てて、四万八千円を払っている。
 沖縄に「観光旅行」で行くのは初めて。観光旅行といえば観光バス、観光バスといえばバスガイドさん。空港で出迎えてくれた那覇観光バスのガイドさんが、三日間案内してくれた。旅行会社の添乗員は娘と同じ年の女性で、初めての沖縄とのこと。おじさん、おばさん相手に一生懸命仕事をしていた若い二人の女性が印象的だった。
 強風のため出発が遅れ那覇空港についたのは午後二時半。那覇空港の付近は、名護市長選支援で来た時に比べて整備され、きれいになっていた。なんといっても沖縄の玄関ですから! きれいになっていたのは空港だけでなく、名護に向かう道路に沿って植え込みなどの工事がやられていた。それとサミット参加八カ国の旗がやたら目につく。ガイドさんの話だと旗も並べる順番が決まっているそうだ。
 三日間のコースは北部↓中部↓南部。まず首里城の入口で記念撮影。南国の日射しがまぶしかった。城内に入り琉球王国の歴史年表の前で立ち止まっていると皆が集まってきた。ここは、沖縄を観光する人びとにとって、オリエンテーションの役目を果たしている。

南部戦跡を訪ねて

 スコールのような雨の中、初日の宿泊先名護へと向かう。米軍車両と並行して走った時、ガイドさんは米軍基地と米軍の横暴を語った。そして、「今日皆さんの宿泊先、名護には普天間基地の移転問題があります」と続けた。
 晴れていたら最高だろうと思われる海辺のリゾートホテルに着いた。幸い夕食時には雨があがり、夕日がとてもきれいだった。
 二年ぶりの社員旅行は大いに盛り上がり、二次会でカラオケに行ったあと、三次会は社長の部屋に集まろうと声をかけていた時。ステテコ姿で寝ている社長を、他の人と間違えて蹴飛ばした。側で見ていた人はビックリ! 帰ってからも、みんなでこのことを思い出しては大笑い。
 二日目は晴れ。海洋博公園エメラルドビーチは美しいシアンの空とコバルトブルーの海、そこで佐渡出身の社員がパンツで泳いだ。万座毛では土曜休みの米兵が奇声を上げて飛び込んでいた。
 那覇のホテルに着き自由時間。一緒にパートで働いていたのだが、沖縄に帰った友人と再会。彼女の案内で国際通りの公設市場に行く。タクシーの中で彼女は「復帰でよくなったのは道路だけよ」とつぶやいていた。
 国際通りは県議選の最終日らしく大いに賑わっていた。候補者名を書いたノボリを何本も立てて練り歩いているのに驚いた。違反じゃないのかな? ホテルまで裏道を通って帰りながら、「国際通り付近も寂しくなったのよ。大型店ばかり増えてお店がほんとに少なくなったでしょ」と話している側を、最後のお願いの選挙カーが通っていった。
 最終日は「私は、今朝一番で投票に行ってきました」というガイドさんの話で始まった。南部戦跡を巡った一日、終止押さえたトーンの話が胸に響く。ひめゆりの塔の前での十分余りの詳しい説明に、献花を手に涙ぐむ人もいた。続いて行った摩文仁の丘でも心のこもった話に静かに聞き入った。
 沖縄には、バスガイド出身の県会議員糸数慶子さんがいる。バスガイドの皆さんの果たしている役割の大きさに気がついた旅だった。
 せっかく楽しい最後の社員旅行だったのに、一人につき千七百円予算オーバーしたから払えという会社と、ただ今交渉中デス! ケチ! 


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