20000625


朝鮮学校を参観して

民族教育への熱意を実感

学生 大久保 康生


 昨日、知り合いの在日朝鮮人(以下、在日。韓国籍・朝鮮籍・日本国籍取得者含む)の友人が朝鮮学校見学会に誘ってくれました。朝鮮学校とは、在日の人びとが祖国の言語・文化・社会を学ぶために自主的に運営している民族学校です。日本には、ブラジル人学校やアメリカン・スクールなどの民族学校が存在しますが、その中でも在日のための民族学校は全国に百四十校以上あります。
 訪れたのはやや古い住宅街にある第一初級学校でした。生徒がクレヨンで書いた絵を廊下に展示するなどのようすはごく普通の小学校ですが、よくある「注意書き」がハングル文字で記されていたり、朝鮮語で進められる授業を見ると、何やら「日本に似ている外国」にいる気がします。確かにここは、朝鮮文化の継承のための重要な場なのだと実感しました。
 学校見学には、年配の人も参加していました。父母の授業参観の場に、「同じ社会に暮らす隣人の生活を知ってほしい」と、日本人を招待しているのです。というのも、朝鮮学校は日本の一般の学校に比べて、さまざまな面で差別され不利益を被っているからです。文部省は民族教育を尊重せず、朝鮮学校を専門学校などと同じ「各種学校」扱いにし、正当な援助をしていません。
 そのため父母の教育負担が大きい現状があります。この学校が母校だという在日の友人に話を聞くと、「通学や給食、予防接種一つをとっても行政の援助がなかなか得られないことが、父母には大変な負担になる。子供に自国の文化を学ばせたいと願っても、大きな負担の前に泣く泣く断念している人も多い。途中でやめていった友人も多い」とのことです。
 また、卒業しても生徒への不利益がつきまといます。朝鮮学校を出ても「学歴」と見なされないため、国立大学への受験資格を与えないなど、文部省は徹底して朝鮮学校を差別しています。
 教室を離れて、校舎のまわりを眺めてみました。小さい上にかなり古い建物で、雨漏りもあるということです。校庭がないため、近くの公園で体育の授業をしています。学校経営は慢性的に非常に厳しく、教師の給料の遅配も多いそうです。

 このような厳しい条件の中でも、在日の方々は子供の教育のために金銭的・労力的な援助を惜しみません。朝鮮学校の教員志望者が「狭き門」になっている話からも、民族の歴史・文化を継承することに対する在日の方々の並々ならぬ熱意が感じられます。
 それと同時に、在日の人びとの当然の民族的要求、積年の努力を妨害・抹殺し続けてきた日本社会のあり方を再認識させられ、情けない気持ちになりました。
 こうした政府の姿勢の根源が、戦前からの朝鮮民族差別からくるのか、戦後米国といっしょになった北朝鮮敵視政策からくるのかわかりませんが(両方でしょうが)、このような差別政策が日本の将来にとってもさまざまな面で影を落とすような気がしてなりません。
 南北朝鮮の首脳会談の成功によって朝鮮半島に平和ムードが訪れていますが、私たちはこれを機に「朝鮮」との関係を再考する必要があるのではないのでしょうか? 


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