20000605


久しぶりに帰省した沖縄

基地の巨大さに改めて怒り

学生 吉浜 しずか


 沖縄出身の私だが、平和行進に参加するため、五月中旬に帰省した。
 父が空港に車で迎えに来てくれていたので、私が運転を代わって北谷町まで北に走った。まず、目についたのが道路の電光掲示板。ほとんどすべて、「サミット期間中はマイカーを自粛しましょう」。小さな掲示板に至っては、「サミット期はマイカー自粛!」と命令口調。私自身には影響ないことだが、ちょっと不快感。鉄道のない車社会の沖縄では、結構影響は大きいのでは。
 五八(ゴーパチ、国道 号線)を北上しながら、Yナンバー(米兵用)の自家用車を見つけ、「ああ、帰ってきたんだなぁ」としみじみ。と、普天間基地に向かって着陸態勢に入った米軍機が右手前方に見え、無愛想なコンクリート住宅街に吸いこまれるようにして消えていった。小さいころから何度も見たはずの日常の光景なのに、あんなにスレスレを飛んでいたのかと、少し驚いた。
 大学に進学しようと本土に出て、基地の存在が当たり前ではないと気づいた五年前からは、米軍機の見方がまるで変わってしまった。そんな自分を振り返りながら、北谷町にむかってさらに北上した。
 北谷町美浜(タレントの羽賀研二の店があるところ)はどんどん開発が進み、海岸沿いに七つの画面をもつ映画館や、ジャスコ、メイクマン(日用品、園芸品店)などの大型店がドドーンとあって、駐車場が整備され、家族連れや若者に人気のスポットになっている。最近観覧車が完成し、ちょうど金曜日の夜だったので、若者であふれていた。
 せっかくなので、車を止め、父と観覧車に乗ることになった。カラフルでおもちゃのような丸い建物の二階に、飲食店街と観覧車乗り場があり、一階は洋服店。米国人の少年グループや、米兵と沖縄女性のカップルもちらほらいて、これまた「沖縄」を感じてしまう光景だった。反基地運動をしているつもりの私だが、もし米軍基地がなくなってこれらの光景が見られなくなると思うと、おかしなことだが、少し寂しい気がした。
 観覧車はやはり人気があるようで、列が途切れることはなかった。乗り込んでみると、夜なので西海岸は真っ暗で見えないが、五八やその向こう側全部を占めるキャンプ端慶覧(ずけらん)がだんだん見えてきた。
 上がるにしたがって、基地の広大さが感じられる。基地内の外灯はオレンジなので、どこまでが基地かがよく分かるのだが、どこまでも続くオレンジの光を見ていると、怒りと同時に、基地撤去の困難な面をも感ぜずにはいられなかった。
 建設関係の仕事をしている父に聞くと、三月には年度末の公共事業とサミット関連事業が重なり、これまでにない忙しさだったとか。
 翌日、私は初めて平和行進に参加した。歩いていると、沿道から盛んに手を振る人がいて、うれしかった。沖縄県内からの参加が少ないので気になったが、もともと、本土から参加した人に、沖縄の現状を知ってもらう目的が中心だと、後で聞かされた。ちょっと安心。
 こんな中、沖縄サミットが近づいている。
 


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