20000605


「神の国」からのお便り

なっちゃんの闘い

山梨・本間 雄二


 なっちゃんはもう中学二年生です。なっちゃんは後天性小児マヒで、上下肢と発音がかなり不自由です。私となっちゃんとのつき合いは、もう八年になります。なっちゃんは小学校の六年間、たった一人で闘い抜いてきました。もちろん、そばでなっちゃんの両親、そして私も応援してきました。なっちゃんの闘いは、日常生活を生き抜くことでした。なっちゃんの敵は、まわりにいっぱい、毎日のようにいました。
 森首相は五月二十六日夜、全日本私立幼稚園連合会でこう発言しました。「私立の教育というのが一番心の教育をしっかりやれるのではないか」と。
 なっちゃんは運悪く公立の小学校の普通学級に通っていました。心の教育がなされていない公立小学校でしたから、なっちゃんの闘いは大変なものでした。ほんの一例を紹介します。
 その一。ある朝学校の玄関で、担任と教頭がお出迎えです。「なっちゃん。きのうの給食のイチゴを家に持って帰ったでしょう」。学校のきまりを破ったなっちゃんと私は、まるで犯罪者扱い。
 その二。なっちゃんは教科書とノートの開きにセロテープをはられ、ページをめくることができなくなったのでした。なっちゃんのイスの上に、画びょうが十数個置かれ、なっちゃんは痛いと叫び、尻には血をにじませていました。なっちゃんが担任に抗議しても担任は「私は教室の中で犯人探しをしたくありません」。
 その三。みんなの列から遅れたなっちゃんは、急ごうとしてよろけて転んでしまいました。そのなっちゃんを助けようと駆け寄った女の子に、担任は怒鳴りました。「お前は自分のこともちゃんとできないくせに、他人のことをかまうな。列に戻れ」。その子はべそをかいていました。
 なっちゃんは公立中学校に行き、やっと人間の心をもった担任に出会いました。なっちゃんはうれしくて、毎日楽しく学校に通いました。なっちゃんは中学校ではじめて時間の制限なしで、テストが受けられました。成績もぐんぐん上がりました。すると、「そばについている校長や先生がなっちゃんに教えているんじゃないの?」という子も何人もいました。それでも担任は数人の友だちとともになっちゃんの手助けをし続けました。
 その担任は一九九九年二月に「日の丸・君が代」問題を取り上げた授業を行い、同年八月三十日に市教委より文書訓告の処分を受けました。九九年十一月二十二日付の朝日新聞によると「校長による国旗・国歌の指導がオウム真理教のマインドコントロールと同じであるかのように教えた。地方公務員法三十三条(信用失墜行為の禁止)に抵触する」との処分でした。市教委の学校教育部のW参事の談話(同日朝日新聞)。「卒業式などの国旗掲揚・国歌斉唱は学習指導要領に明記されている。考えましょうと生徒に呼びかけるのは指導要領に異を唱えることで、受け入れられない」。その担任は、今年別の市へ異動させられました。
 森首相は五月二十六日夕方、「神の国発言」の釈明記者会見を行いました。その日私は、初夏の夜の夢を見ました。森首相だけが日本の本質を知っていて、他の国民はみんないろいろ議論しているだけでした。日本はまだ天皇中心で、主権は大企業と官僚にあって、国民は何十年も目がさめていないのです。
 なっちゃんのように、毎日毎日闘い続けなければいつの間にか、神の国の住民になってしまいます。私たちの敵とその手先は自分のまわりにいっぱいいるのです。でも、私たちは目をさましさえすれば、みんな同志になれるのです。目をさまさないと神の国の住民になってしまうぞ。 


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