20000605


使命感で走った2カ月

問題噴出する介護保険

看護婦・小野 栄子


 介護保険が始まって、二カ月がたとうとしている。上司から勧められて受験したケアマネージャー(介護支援専門員)の試験に合格して喜んだ私は、本当に浅はかだった。こんな過酷な試練がまっていようとは考えもしなかった。 そもそも介護保険の単価が正式に決定したのは三月の中旬過ぎ、その後もこまごまと訂正が行われ、厚生省の対応の遅れははなはだしく、こんな状況では四月一日からスタートできるはずがないと誰もが考えた。
 しかし四月一日、介護保険は始まった。すべてがあやふやな状態のままで。ここから全国のケアマネージャーの眠れない戦争が始まった。介護サービスを受けるためには、ケア計画を立てなければいけない。この計画を立てるのが私たちの仕事らしいと、後で分かった。最初は訪問調査のやり方を研修させられたり、記録の仕方を詳しく講義を受けたりしたので、たぶんそんな仕事なのかとタカをくくっていたらとんでもなかった(社会福祉協議会も十分理解しないままに私たちに研修をしたらしい)。
 一言で「計画を立てればいい」といっても、これがたいへんな仕事なのだ。一人ひとりの生活状況を調査し、必要な介護サービスを相談し、そしてそれが本人の介護認定の限度内に収まらなければならない。もし、要支援と判定された人だったら六万円ぐらいのサービスを組み立てることになるが、訪問看護は一時間当たり八千円ぐらいだから、月に七回行けば五万六千円、ヘルパーさんの生活介護なら一時間当たり二千五百円だから何回行けるかと、パズルのように組み立てていく。だが、利用者が一割負担しなければいけないので、料金の問題も出てくる。支払いが難しいとなれば、最低限で組まざるをえない。
 ただ問題なのは、命にかかわることについては、はずせないサービスがあるということについて、誰がその料金を負担するのか? 最高三十六万円の介護サービスで重症の人がその一割の三万六千円が払えなかったらどうするのか? サービスを打ち切るのか…。また当然限度額で収まらない場合は、本人の全額負担となっているので、在宅で手厚く介護を受けるためには、お金がますますかかることになる。
 訪問看護がひんぱんに必要な場合は、総額六十万円を超すこともある。毎月三十万円近くのもの不足分を、誰が負担できるのだろうか? そんな方はどうか施設に入ってくださいと厚生省は言わざるをえないかもしれない。しかし介護保険は誰もが在宅で療養できるように開始された制度であり、どんな重度の障害があっても病院で治療が終わったら、「はい、退院です。在宅で」と言わせているのは厚生省である。

責任だけが肩にのしかかる

 少子化で、介護する家族はほとんど期待できない、みんな生活が大変で主婦も仕事をもって働いている。こうなると、家族に代わって介護する専門家が必要となるが、これにはお金がかかる。「これまでは福祉でやってきましたが、これからは皆さん個人個人で自由にやってください」ということで始めたのが介護保険の狙いらしい。
 こんなすべてのことが、ケア計画を立てるケアマネージャーの肩にのしかかってくるとは誰が想像しただろうか? こんな試験だったら誰も受けなかったに違いない。あんな適当な問題で、こんな重要で困難な仕事を任せていいのだろうかと疑問になる。
 また運よく(?)合格した人たちもいい迷惑である。ケアマネージャーは独立した仕事ではなく、看護職など現職と兼任している人がほとんどで、今の仕事に余計な仕事が増えただけで、手当が増えたわけではない。それは、当初利益を当て込んで切り替えた介護保険が逆に減収となり、点数の高い医療保険にこだわっている病院側の方針のためなのだ。
 だから、当然、なんのメリットもないまま、ただ使命感だけでこの二カ月を走り続けた人たちがほとんどだろうと思う。辞めたいと思っても合格者は少なくて、代わりの人がいない。また立場上辞められない。制度のことが分からないままに走らざるをえない、期限は容赦なく迫ってくるなどさまざまな葛藤(かっとう)の中で、病気になった人が多いと聞いている。病院患者五十人に一人のケアマネージャーである。大変な重労働である。厚生省の対応の遅れ、準備不足、未完成のままに見切り発車した責任が、すべてケアマネージャーの肩にのしかかっている。
 「こんな介護保険すぐにつぶれるさ…」とまわりの人はのん気に話す。そうだったらいいのだけれど、このまま続いたらたまったものじゃない。みんなの力でもう少しましな制度に変わらないものか、大きな声で叫びたい。
「介護保険のバカヤロー」 


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