20000515


アジアに生きる若者たち

ミャンマーの東京フライドチキン(5)

海援隊(海外展開企業等を支援するネットワーク組織隊)
代表幹事 増田 辰弘


 「最近の日本の親は子供を甘やかすことばかり、そもそも教育とは何たるかを知らない。少し小金がたまると、前後の見境がまったくなくなる」。
 こんな苦情が出てくる日本社会の中で、息子をびしびし鍛え上げ、立派な企業家に育てている親がいる。そして、それにこたえ着々と青年事業家に成長しつつある若者がいる。
 伊藤貴宏さんは、ミャンマーに来る前は中国の遼寧省にいた。それも、大連や瀋陽という都会ではなく、両市の中間にあたる山の中で、鶏肉加工工場の運営にあたっていた。もちろん工場で日本人は彼一人である。
 中国での生活で何が大変であったかというとお風呂である。彼が寝泊まりをしていた食肉工場にはシャワーがない。なんとかタライのようなもので、行水のようなことをして済ませていた。だから彼の最大の楽しみは、日本からお客さんが来てそのホテルのバスルームを借りてお風呂に入ることであった。この時には、この世の極楽を見る気がしたそうである。
 さて、ミャンマーであるが、当初は中国と同様、鶏肉加工工場をつくり、日本に鶏肉を輸出する予定であったが、現地は極端にニワトリが少ない。そのため、鶏肉加工工場では価格が予想外に高く、採算が難しいこともあり、これはあきらめ、代わりに同国では最初のファストフード店「東京フライドチキン」を開業することにした。鶏肉を加工するのでなく、食品にして売ることにしたのである。
 現在は、ヤンゴン市内に三店営業させている。一号店は見本を示す意味で直営店で、二号店、三号店はオーナー店である。いずれも市内の目抜き通りに開設した。この店は、日本でいえばケンタッキーフライドチキンとハンバーガーのマクドナルドを併せたような店であるが、現地ではまだこんなハイセンスなファストフード店はめずらしく、私が取材に行った時も満席の盛況であった。
 一番のヒット商品は、単品のフライドチキン(百五十チャット=五十円)だが、土日ともなるとフライドチキンにポテトとハンバーガーの加わるディナーセット(六百チャット=二百円)もけっこう出ている。まだ、月収が五千円程度であるから、これは豪華なディナーとなる。
 東京フライドチキンは、日本の味付けをそのままもってきておいしくつくる。調理場の衛生環境をよくする。原材料である鶏肉は最高級のものを選ぶ。この三点を基本としている。まだ、近代化がやっと緒につき出したミャンマーでここまでやるのだから、消費者には好評なわけである。毎日の生活は節約していても、時には東京フライドチキンに出向いて文明を味わいたいのである。
 伊藤さんは、この東京フライドチキンをミャンマー国内でゆくゆくは五十店ぐらいのチェーン店にする計画である。もちろん首都のヤンゴンだけでなくマンダレーなどほかの地方都市でも開店する予定である。
 伊藤さんは、最近ミャンマー人の女性と結婚した。それも、エステ、宝石、貿易業などを営む実業家の女性である。伊藤家は、いわば事業家夫妻となったわけである。伊藤さんのアジアビジネス街道は強力な助っ人を得て、ますます興味深いものとなってきた。 


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