「今日もテクシーで来たよ」。
私が勤める都市近郊のデイケア、ここに通ってきた通所者の最近のあいさつである。テクシーとは「自分の足でテクテク歩いてきたよ」という意味。介護保険が始まってからの通所者の皮肉のきいたあいさつである。
以前は、車での送り迎えがついても医療保険が適用され、月に数千円ですんでいた。だが介護保険が始まってからは自己負担で、それを抑えるために送迎をやめ、入浴サービスをやめ、来る日数を減らしているのである。それでも今までの倍以上の支出をしなければならなくなった。
利用料金が高くなるからと、受けられるサービスを減らす(減らされる)通所者は相当な数にのぼった。利用日数、サービスを減らすだけでなく、前号の労働新聞にも載っていたが、本当に楽しみにしているデイケアへまったく通えなくなってしまった人も、登録者全体の一割近くにのぼっている。
三月末には、涙を浮かべながら職員にあいさつをしてまわる人。送っていった自宅の前で、別れられずに職員の手を握って号泣して離さなかったり。皆に別れを言うのがつらいからと「お世話になりました」と一言だけ言って、デイケアの途中で菓子折をおいて帰ってしまう人など。つらくやりきれない場面が何度もありました。
机の上だけで考えた「福祉」が、現場でどれだけの痛みを生じさせているか。官僚や与野党の政治家は本当に分かっているのだろうか。
増大する医療費の原因を高齢者の責任と押しつけ、負担を増やし診療所や病院から追い出し、その追い出し先の福祉の現場からも、今度は選別、排除しようとしている。
介護保険のおかげで「お金があれば何とかなる」という雰囲気が福祉の世界でも普通になってしまった。いったい高齢者の安住できる所はどこなのだろうか。
高齢者だけでなく介護にたずさわるスタッフの方も悲惨である。「介護保険で施設の収入が減るから」「赤字だから」と職員を増やさず、残業代を一銭も払わずに働かせ続けている。数少ない人数で介護を行っており、その精神的、肉体的疲労はピークに達している。職場には不満も渦巻いている。笑顔も少なくなってきた。
このままでは高齢者への質のよいサービスが提供し続けられるか、非常に不安である。そんな中で、施設間の競争も激しくなり、通所者の「奪い合い」が常態化している。なおいっそうの労働強化が待ち受けているのは目に見える。
しわよせを押しつけられるのはいつも現場である。高見の見物をして、いまだにぬるま湯につかっている政治家には本当の痛みが分かっていないのだろう。私たちのような現場の職員、そして利用者となる大多数の庶民が連携して、本当に役に立つ福祉制度を立ち上げよう。少しずつではあるが、厳しい視点と怒りをもって運動を組織していきたい。
Copyright(C) The Workers' Press 1996-2000