20000405


アジアに生きる若者たち

脱サラで中国留学、実業家への道(4)

海援隊(海外展開企業等を支援するネットワーク組織隊)
代表幹事 増田 辰弘


平凡な人生を返上し
ベンチャラスな人生を

 
 アジアに生息する日本の若者には大きく三つのタイプがある。一つは、わけがあり日本におれなくなりアジアに出かけた人、二つ目にはたまたま会社の仕事などでアジアに出かけたが、そのうちのめり込んでしまった人、そして最後がひょんなことから偶然にアジアに出かけた人である。
 この最後のタイプはまことにつかみにくい。それは、これまでアジアの関連性がまったくないからだ。しかし今後はこのタイプが増えていくものと思われる。世の中が意外性の多い社会となったからだ。
 さて、今回紹介するベンチャーコーポレーションの柴田貴嗣さんもその一人である。ほんのごく最近まで、家庭をもつ普通のサラリーマンであった。それほど急成長はしないものの安定した会社、やさしい奥さん、絵に描いたような日本の平均的な家庭であった。
 「人生これでいいのか」。あまりにもうまく運びすぎる時の疑問である。自分の人生はこのまま平々凡々と皆と同じようなサラリーマン人生でよいのか。自分はこんな何のへんてつもない人生を営むために生まれてきたのか。突然、自問自答の日々が始まった。
 何カ月も考えた末、彼は中国への留学を決意する。正直これからが大変であった。まず、妻と両親、そして妻の両親への説得である。せっかく安定した会社を辞め、海のものとも山のものとも分からない中国に出かけるからである。
 彼らへの説得は大変であったが、当初彼が思ったほどではなかった。それほど柴田さんが思い込んでいるならがんばらせてあげたい。かくして、少しとうがたった若者の北京師範大学への留学は始まった。
 中国に行ってからの彼の勉強は並ではなかった。まさに寸暇を惜しんで勉強した。勉強ばかりではない。しっかり次へのステップとなるビジネスの根回しも始まった。
 中国では、日本でいう旧正月、春節は学校も会社も休みになる。柴田さんはこの休みを利用して山東省の青島行きを考える。それも飛行機ではなく列車で行く。この方が人脈の形成や何かが起こる確率が高いからだ。
 彼は、列車の日本でいうグリーン車、現地の特等車に乗る。ここで偶然隣りあわせた人物が現在のビジネスパートナーである。中国の特等車には現地の要人や実業家が必ず乗る。うまくいけば知り合いになれるかもしれない。この作戦がまんまと当たり、彼は青島きっての実業家と巡りあい、十数時間の車中で意気投合した。
 柴田さんが、最初に北京で始めた事業がカレーライス屋である。日本と同じ味つけのカレーハウスを開業させた。日中の役まわりは、役所の手続きや賃金の手当は青島のパートナーが行い、食材の調達や味つけは柴田さんが行った。
 このカレーハウスは、中国のグルメブームとも重なり大ヒットする。その後、食材屋、中国茶の日本への輸出業、ゲームセンターの運営など、次々と多くの事業をこの青島のパートナーとのコンビにより実現させる。柴田さんの少し老いてからのアジア行きは、大成功の兆しを見せている。
 


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