20000325


こんな世界があったモンだ
新人建築雑工奮闘記(5)

奈二岡 祝哉


「嫌なら出て行け!」

 在籍(寮も)七年にもなる―こんな所によくもまぁ長くいたもんだ―大ベテランが、賃下げ(日当八千円↓七千円)に抗議して、月一回の『定例安全協議会』の場でその不当性を訴えたところ、六十名ほどの全員の前で社長は「嫌だったら辞めろ」と一カツ、それで終わり。
 後で聞いたら、その種の文句、不満を言うやつには「嫌だったら出て行け」が会社側のマニュアル回答らしい。結局、おとなしくしていればとりあえず食いっ外れないから、仕方なしにやられっ放しがほとんど。
 屋根のある所で寝るため、全人格をボコボコにされても黙って耐えている。残念ながら「闘うヤツ」はいない! もっと正確にいえば、あらゆる経験の中、辛酸をなめつくし、敗北し、流れついた場所で、再度立とうとしても、すでに気力、体力を喪失してしまっていて「終わった」状態だ。
 だから「労働者」だとか「権利」などの言葉に激しいアレルギー反応を起こす者が多い。そのような表現をし始めると、まずその先、まったくといってよいほど相手にしてもらえない。万国の労働者よ、こんなんじゃ団結できネーヨ。

「去るも地獄なり」か―

 去った者ほとんどがその後、消息不明であることは第一回目に書いた。元銀行マン、大学教授、ホテルマン、コック、農民、ヤクザ、出版社員…などなど、真実かどうかは分からないが、「本業」時代はなかなかの生活をしていた者が多いのは意外だった。
 かく言う小生もよい時は相当に恵まれていたが、しかし、転落(とは言い過ぎか?)の終着駅近くが、この寮、会社に縛りつけられる状態であることは確かだ。
 月に数日しか仕事がなく、前借りせざるを得ない状況に追い込まれ、息をするのがやっとの環境で生きていくのは、およそ社会の最底辺と呼ぶにふさわしいと思える。
 だから脱出するには、逃亡か、あるいは我慢にガマンを重ねてようやく手にするわずかの日当を懐に「とにかく」去るか、の方法しかない。
 しかし「中高年大失業」の真っただ中。たちまちの如くその荒波に翻弄(ほんろう)されるかもしれない。それでも果断に決意を実行せんとする者に、「幸運を!」と祈ってほしい。小生も、いま飛び出したばかりだ。(完) 


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