20000325


日蘭交流400年記念
日本占領下の旧オランダ領インドネシアの戦争展

ぜひとも長崎で開催を

歴史の共有が友好の基礎

長崎市議会議員 草の根クラブ 中村 すみ代


 今年は、オランダ商船「デ・リーフデ号」が大分県臼杵市に漂着し、日本とオランダが交流をはじめて四百年になります。このことを記念して、日本とオランダ間の国レベルでの事業とあわせて、長崎県、長崎市は日蘭交流四百周年記念事業を、今年の一月から来年の三月末日までの十五カ月間にわたり、盛り上げようとしています。
 このような中、いま長崎市ではオランダ国立戦争資料館が企画した日本のインドネシア占領に関する戦争展を打診されたにもかかわらず、長崎市がその要請を断ったことについて、市民の間でさまざまな波紋が広がっています。
 この戦争展の名称は「オランダ人―日本人―インドネシア人による日本占領下インドネシアの記憶」というもので、オランダ領だったインドネシアを日本が占領していた時代を中心に、インドネシアの独立までを三国の証言でたどるものです。
 オランダ国立戦争資料館のソーメス企画部長は「これまで両国とも占領期を直視してこなかった。過去の事実を見つめ、互いの対話を始めることが戦争展の目的だ。日本側にもその意図を理解してもらいたい」と語っています。
 オランダでは昨年八月から十月までの三カ月間、アムステルダムで開催したところ、約八万人もの入場者があったとのことです。そして、今年は日本で、来年はインドネシアで開催する予定で、日本の主だった地方自治体へ打診があったわけです。
 長崎市は開催を断った理由を、「過去の戦争の評価にかかわる問題は国の責任範囲、原爆資料館ですることがなじまないという内部協議の中で方針が決まった」「四百年記念事業の正式メニューでもない」と述べています。
 
開催を決めた水巻町

 そこで私は、先日、九州地区内で開催を決めた福岡県水巻町と、検討中の大分県臼杵市を訪問し、受け入れを決定した経過や、日蘭交流四百周年記念事業の内容を調査してきました。
 福岡県水巻町は旧産炭地で、敗戦まで千人以上の連合国の捕虜が収容所に収容され、炭鉱での過酷な採炭作業を強制させられていた(そのうちオランダ人が最も多く約六百人)歴史があったということで、オランダとの交流は約十年以上も前から始まっていました。
 このような経過から、オランダからの申し出に対しては、展示内容には日本の戦争責任、侵略をクローズアップしたものではなく、客観性が配慮されていることを踏まえ、過去の歴史を振り返ることは大切なことと判断し、受け入れを決めたとのことでした。
 また、臼杵市は、歴史の明るい部分と暗い部分の両方を知ることが必要だということで、市長が前向きに開催を検討しているとのことでした。さらに四月十九日のオランダ皇太子の歓迎行事を中心に各種イベントを計画しているとのことでした。
 しかし、開催を決めていた東京都千代田区は、妨害行為なども予想されるので、開催しないことを決めたとのことで、事実であれば大変残念なことです。
 さて長崎市ですが、二月九日、平和運動団体を中心に共同で市主催の「戦争展」の開催を申し入れましたが、市主催、共催いずれも開催する意思がないことを表明しました。市長は三月二日の施政方針演説で、日蘭交流四百周年記念事業について、「国際交流の長い歴史につちかわれ、生活文化の中にしっかり溶け込んでいる異国情緒とその魅力とを多くの方々に実感していただくとともに二十一世紀に向けて長崎が飛躍するための新たな風を感じとっていただきたいと考えています。何よりこの記念事業は、単なる一過性のイベントとして終わらせるのでなく、二十一世紀の町づくりにつなぐ架け橋ともなる事業として取り組むことが必要」と述べています。
 であるなら、なおさらオランダとの歴史認識の共有が不可欠であり(長崎市内にも捕虜収容所がありオランダ人も多数被爆している)、交流事業のもっともふさわしい事業の一つであり、「戦争展」の開催は共有のための第一歩であり、貴重な機会です。私は市主催の「戦争展」開催の立場から、開催を望む多くの市民の皆さんとともに、この問題にきちんと対応していこうと考えています。 


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