20000215


大企業ほど過酷なリストラ
もう黙っていられない

電機労働者 近藤 圭太


 日産自動車の大リストラなど、大企業の進める合理化は、労働者に大きな衝撃を与えていると思う。日本の主力産業である自動車の「日産でもああなる」というだけでなく、自分たちの働く職場も、「同じような境遇になりかねない」と考えてしまう厳しい状況に当面しているからだ。それほど先行きは明るくないからである。
 この十年で、働く者には厳しい社会になった。労働運動が沈滞したことが大きい理由だろうが、社会的にも合理化は当たり前という風潮だ。とにかく不景気が終わらないから、失業率がアメリカを追い越すとなると、とにもかくにも「働ける職場があるから」というような気持ちになってくる。だから、たくさんの企業の人員削減や合併などを新聞やテレビで見ると、他人事ではない気持ちになる。
 私の働く会社でも、日夜リストラが進んでいる。大企業だから労働者の首が守られるという時代でない。むしろ、大企業だからこそ国際的な大競争の中で、生き残りをかけて必死である。遅れたら取り返しがつかないから、日夜あらゆる方策を考えている。
 これまで私の会社は、事業部制をとってきたが、いわゆる「分社化」を通じて、どんどんと子会社化、別会社化へとしくみが変わってきている。当然、この組織の再編は、工場や関連各種部門の労働者の削減、その下請けの足切りへと結びついている。労働者全体の数はどんどんと減ってきている。
 労働組合は、企業の労務管理を補完するような組合である。この流れに組合員の要求を掲げて闘う、というような行動などには出ないが、職場討議などではずいぶんと意見が出されている。共産党の組織があるが、代議員選挙では票数が増えてきている。
 執行部もこれまでのように、事なかれではやれなくなってきている。働く者にとっては、まあ誰でもそうだが、先の見通しが見えないことほどイライラすることはない。計画が立たないし、何か落ち着かない。こういう感じが、私の職場にもたくさんある。だから、これまでのように、組合役員の会社側の代弁者然としたような説明だけでは納得しないし、心では皆怒っている。
 企業の業績の厳しさは、労働者には犠牲のしわ寄せとして、あらゆるものが降りかかってくる。大きな変化ではないが、労働者は黙っていたのでは、生活も働く場所も失ってしまう。だから、何か言わなければというような感じに、周囲も変わってきている。
 少しずつ変化が始まっている、労働組合が本来の役割を果たせるように、この職場でがんばりたい。 


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