20000205


新人建築雑工奮闘記(1)
こんな世界があったモンだ

奈二岡 祝哉(なにおか いわんや)


 ●オイ ナンデこんな時に募集広告出すのかネェ ●そりゃオメエ 寮が空いていると金が入らねェべ ●これじゃますますワシラの仕事なくなるっぺ ●アー早くこのタコ部屋から脱出したいけどドーニモナンネエなァ ●それに仮に出ても行くところも、寝るところもないしホームレス以下だんべヨ ●コリャダーメダ

話が全然ちゃうやんけ!

 まだ底冷えの厳しい風の強い日、ゆえあって家を飛び出し建設現場での雑工職に身を投じた。肉体労働そのものは嫌いではないし、むしろナマクラ身心に幹を入れようほどの思いもあり、仕事の苦痛はさほど感じなかった。
 朝五時過ぎ起床、洗面もそこそこに事務所で同行者たちと待ち合わせ現場へ。「職長」という名の熟練技能者(ってほどでもないか)の指揮の下、片づけ、清掃、ガラ(コンクリート片)運び、地下ピット室での水出し、穴掘りに荷物運びに部屋内仕上げクリーニング…初めて見る機械や用具。肉体的にはかなり厳しいことが多かったが、それでもまあ、こんなモンか。現場をナメるように掃除したり、最終仕上げの床ワックス作業なんかも嫌いじゃない。オーナーへの建物引き渡し日なんか、自分のやった部分が本当に美しく仕上がっていれば何やら「ヤッタ」と一人快哉(かいさい)気分。
 しかし、モンダイは、それにしても仕事のなさよ。面接の時と話がゼンゼーン違うやんか!
 
出る時は死ぬ時だと!
 
 あのパンチパーマの社長は「月平均二十日は皆に働いてもらう」だと。そういえば、面接担当者の顧問(社長の兄、実権持っとる銀髪のジジイ)も「仕事はある」ふうなことを言っていたぞ。でも、その後続の言葉を、もっとしっかと脳裡(のうり)に刻んでおくべきであった、と後悔してもハジマランワ。今となっては、で、何を言っていたかというと―。
 「ここに居るのは、もうどこにも行けない、帰るところも身寄りもいない連中だ。給料もらっても酒とパチンコ、ケイバでスッてオシマイ。翌日から前借りの繰り返し。病気やケガで働けなくなったらノタレ死にするっきゃない。キミもそうならないように気をつけて(どう気をつけるんダヨ!)なるたけ早く他所を見つけて出なさい」だと。
 実際、そのテの話はいっぱい聞かされた。寮の同居人たちもお互い慣れてくるといろいろな話題が飛び交うようになる。その中でも多いのは「消息」に関すること。あっちの寮の誰それが逃亡(金、荷物を持って、モチロン他人の)しただの、退社(寮)して二カ月後にあのオヤジは死んだだの、アル中で病院にかつぎこまれたアイツはそれっきりだの、ナントカさんに公園で会ったらホームレスしてただのという話だ。また、去っていく人のほとんどは「落ち着いたら連絡するから」と言い残すが、まず二度と会うことはない。まれに毎日会う人は事務所前の公園でホームレスになった人(三人もいる!)ぐらいだ。 


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