20000125


いまだ復興の道半ば
5年ぶりの年始あいさつです

やっと仮設住宅から「脱出」

神戸・秋月 香


 あけましておめでとうございます。二〇〇〇年の新年をどうお迎えになったでしょうか。
 この一月十七日で、あの阪神・淡路大震災から丸五年を迎えました。皆さんには本当にお世話になりました。
 
 思えば五年前、住んでいた文化アパートはあの一揺れで無惨にも倒壊、その日から長い避難生活が始まりました。近所の人たちが集まり、駐車場にテントを建てそこでの食事。集会所、中学校の体育館での避難生活、四年間の仮設住宅での生活。想像だにしなかった五年間を送るはめになりました。私も正直、こんなに長くなるとは思いませんでした。

 私が住んでいた神戸・ポートアイランド第六仮設住宅(八百世帯)は昨年十一月二十二日、最後の一人が引っ越し、今、解体工事が進んでいます。
 私も、昨年七月十二日、東灘区の民間マンションに引っ越しました(市が山を削って開発したところで今でもイノシシやタヌキがいますよ)。仮設住宅から「脱出」できたとはいえ、仮設住宅で一緒に過ごした人たちとは離ればなれ。知らない土地での生活、高い家賃負担を考えると大きな不安があります。希望する災害復興住宅は当たりませんでしたので、ここから再度挑戦するつもりです。

 震災後、つらいことは何度もありましたが、避難所の役員、仮設住宅自治会の役員を引き受けたこともあり、震災がなければ一生めぐり合うこともなかった実に多くの人と知り合い、助け合い、励まし合ってきました。仮設住宅自治会では「孤独死」「公的援助」「若年単身者の公営住宅入居問題」など仮設住民の生活にかかわる問題にも真正面から取り組み、少なからず成果をあげてきたと思っています。問題提起を単に今回の震災とせず、今後迎える高齢社会、災害が起きた場合のことを視野に入れたことは重要だったと思います。この五年間は、考えようによっては四十六年の人生で一番忙しく、充実した五年間だったのかもしれません。
 確かに兵庫県の仮設住宅は今年一月最後の人が引っ越し、住む人はいなくなりました。しかし、災害復興住宅・民間住宅に移っても、そこに住んでいる人の生活の再建、心の再建は道半ばと言わざるをえません。とりわけ、家族を亡くした人の場合、その傷が癒えるまでは相当の年月がかかることがあってもおかしくありません。市外・県外に避難した人は今もって数万人と言われています。表通りの復興を尻目に裏通りに入るとサラ地が目立ちます。もっとも被害のひどかった地域では再開発・区画整理の網にかかっている所が多く、住宅の再建は今からです。とりわけ今度の災害が高齢者、経済的弱者に集中し、復興は経済的強者から進むなど、今の社会がかかえる矛盾をそのまま露呈するものとなりました。

 私もこれから被災地の真の復興のために、残された問題に取り組みたいと考えています。

 皆さんには本当にお世話になりました。
 多くの人が震災後、街頭で募金をし届けてくれました。鍋、釜を車に積んで炊き出しに来てくれた東京の人もいました。神奈川、長崎の人は視察に来てくれました。議員を引き連れて仮設住宅に激励に来てくれた福岡の人もいました。あらためて皆さんにお礼申し上げます。(儀礼的なあいさつではなく)一度遊びに来てください。震災からの復興のようすと、いまだにかかえるさまざまな問題をぜひ見てほしいのです。

 復興途上ではありますが、仮設住宅から「脱出」したことを一つの区切りとし、五年ぶりの年始のあいさつをさせてもらいます。
 
 大寒の昨日は今年二回目の雪となりました。お正月は天気がいい日が続いていましたが、これから寒くなります。健康に十分注意して、ご活躍されることをお祈りしております。

二〇〇〇年一月

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