20000101


映画紹介
失業者の苦悩を描く

マイ・ネーム・イズ・ジョー

監督 ケン・ローチ


 断酒会では、自分の経験を話しながら、お互いに励ましあう。イギリスでは誰もがファーストネームしか名乗らない。この映画の題名「マイ・ネーム・イズ・ジョー」はその自己紹介の言葉である。
 ジョーは三十七歳の独身労働者だが、失業中だ。酒におぼれ、監獄にぶちこまれる生活を繰り返すうちにアルコール依存症になる。そんな生活に嫌気がさしたジョーは、酒をやめることを決意する。失業保険を受給しながら、断酒会に通い、仲間たちとサッカーチームをつくり、立ち直ろうとがんばっていた。
 ある時、ジョーの前に保健婦のセーラが現れ、二人はひかれあっていく。ジョーはセーラに自分の気持ちを伝えるかどうか、迷っていた。「自分には職もない、金もない。あるのはジョーという名前だけだ。人間としての自信もない」と友人に相談する。
 そんな中で、おいのリーアムは暴力団に、借りた金が返せず痛めつけられていた。その妻も麻薬中毒だ。ジョーは、自分が麻薬の運び屋をやることでリーアムの借金をチャラにしてほしいと頼む。
 ジョーが運び屋をやっていることを知ったセーラは、激怒して非難する。ジョーはセーラの言葉で、迷いがなくなり、昔のしがらみから抜け出そうと闘うが、結局はどうにもならず酒に手を出してしまう。リーアムも「自分さえいなければいいんだ」と追いつめられて、ジョーの目の前で首つり自殺してしまう。葬儀でうなだれるジョーに、セーラが寄り添うように歩くところで、映画は終わる。
 アル中、ヤク中、借金、犯罪、暴力団、家族の崩壊、そして自殺…。底辺で生きる労働者が、どうしようもなく追いつめられていく姿と、その心の動きがこまやかに描かれている。
 脚本は、イギリスのグラスゴーの貧困地区に滞在して、調査をもとに書かれたものだ。イギリスの労働者の現実を、厳しく見つめた作品だといえる。
 しかし、作品全体には労働者階級のエネルギーやユーモア、批判精神があふれている。ジョーがバイトでペンキ塗りをしている時、調査員が失業給付をカットするための証拠写真を撮ろうとする。それを見つけたジョーは、調査員の車にペンキをぶちまける。
 サッカーチームの仲間たちも愉快だ。徒党を組んでユニフォームを盗み、大喜びする。ローチ監督は「労働者階級のスピリットを作品に盛り込んでいるつもりだ」と語っている。
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 この映画を見て、十九世紀末に書かれたエミール・ゾラの「居酒屋」という小説を思い出した。居酒屋の夫婦は仕事が奪われていく中で、アル中になって死んでいった。それから、百年たった今、資本主義国の労働者の置かれている状況がどう変わったというのか?労働者が抱える悩みが、さらに複雑で、深刻になったというだけではないか。
 日本でも、追いつめられた袋小路から抜け出るきっかけを求め、自信を取り戻そうとして苦悩している「ジョー」たちが、あふれはじめている。(U)
 


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