20000101


座談会

在日朝鮮人若者たちは今…
朝日両国民が仲良くすべき

朝鮮学校にも助成金出してほしい/
李静仙さん(25歳)
バッグを切られ、とても怖かった/
朴慶姫さん(24歳)


 日本で生まれ育った在日朝鮮人三世の若者たち。彼らの祖父母は、植民地支配の下で日本に強制連行された人たちだ。戦後五十四年が過ぎても、日本政府は朝鮮民主主義人民共和国への敵視を続け、戦後処理を含む国交正常化交渉にもおよび腰である。民族差別、チョゴリ切り裂き事件などがあとをたたない中で、日本に生きる若い女性たちに、日ごろの思いを語ってもらった。民族の誇り高く生きる姿を、紹介したい。


◆趣味や将来の夢を聞かせてください。

 在日同胞が経営する貿易会社で働いています。学生のころから声楽をずっとやっていましたので、歌が好き。地域のサッカークラブのマネージャーもやっています。
 私は青年団体の職員をやっています。朝鮮大学校を出て、自分で希望してこの仕事につきました。バレーボールをずっとやっていたので、いまもクラブに入ってやっています。朝鮮の歌も聞きますが、日本のニューミュージックも好きです。感性は日本人と同じですよ。
 小さいころは学校の先生になりたかった。自分が学んだ学校で先生になりたかったですね。今は旅行にも行きたいし、服も買いたいけど、先立つものがない(笑)。これといって今やりたいことはないんですが、つらいことがあっても、前向きに生きていきたい。大きい壁が自分の前に立ちはだかったときに、それをどう乗り越えていくのか。そんな経験の中でいろんなことを学んでいきたいと思っています。
 私も旅行に行って温泉もつかりたいし、宝くじも当てたいし、こまごました夢はあふれるほどありますね。私たちは民族教育を受けているから、バイリンガルです。英語かなにかをつけたしてトリリンガルになって、国際的な場面でなにかをやってみたいという気持ちもありますね。

◆植民地時代の話を聞いて何を感じますか。

 祖父母は小さいときに亡くなりましたので、戦争中の話を直接聞いたことはありませんが、学校で先生に聞いたりしました。
 私の祖母が健在ですので、幼いころからひざに抱えられてこんこんと話を聞きました。今は仲良くしなければいけない相手だけど、祖父母の時代に起こったことは忘れてはならないし、私たちのルーツです。日本の教科書に歴史の事実が載ってないのは、とても疑問です。私たちがチョゴリを着て通学するときに、戦争経験した五十代、六十代の方が「きれいなチョゴリね」と言いながらも「あなたたちは何で来たの?」と言われたときは驚きました。歴史を知らないんですね。
 母は「虐待されたりつらいめにあわせたのも日本人だけど、助けられたり恩をもらったのも日本人」と言っています。私の母方の通名は「川上」なんですね。なぜかと聞くと、職を探していたときに一番お世話になった人が川上さんで、その恩をいつまでも忘れないようにという思いからつけたということでした。

◆チョゴリ切り裂き事件をどう思いますか。

 一番先にくることは憤りです。事件の歴史は深いもので、私たちが幼いころもありました。「疑惑」があると狙われるのはチョゴリです。とても残念ですね。
 朝鮮学校にはチョゴリ以外に第二制服があります。でも、それを着てみんなが登校するようになるのはすごく残念。チョゴリを胸を張って着れないのは悲しい。私も電車で通学していたときに、体操着を入れたバッグがカッターで切られました。その時は分からず、着替えようとして分かりびっくりしました。とても怖かった。
 日本人にもいろんな人がいるわけで、日本人はすべて嫌いということにはなりません。一世の方だと植民地を味わいましたし、言葉とか名前も奪われた。反日感情が正直いって強いですけれども、私たちは日本で生まれて育って、ここで死にます。そういった面では日本人一般を敵対視はしません。チョゴリ事件の加害者が日本人だと思うと、この社会はまだまだと思いますけれども、私たちの世代は「心ない一部の人の犯行」という解釈をしています。

◆日本人との交流の場はありますか。

 職場も同胞に囲まれていますし、学校も朝鮮学校だったので、日本人の友だちはあまりいませんね。
 小学校の時、隣の小学校と朝鮮学校はバトルやってました。通るたびに「バカ」と書かれたり、嫌がらせをされる。そしたら仕返す。小さい民族闘争ですよね。そのうち先生たちが意気投合して、交流試合をすることになったんです。私たちも応援に行きましたが、気まずかったですね。番長も先生がにらんでいますので、「よろしく」と握手して。いっしょに焼肉を食べなくちゃいけなくて、そのうち打ち解けて、「ゴメンね」なんて言い合ったりするんですね。そういうところで培う民族心というのもありますね。「この子たちと違うんだ」と、いじめられながら分かるとか。たたかれながら身体で覚えるとか。
 私の地域では朝鮮学校の子たちが堂々と歩いている。朝鮮人はケンカも腕っぷしも強いし「来るならこい。いつでも待ってるよ」みたいなところで、口より手が先に出る。好戦的というのじゃないですけど(笑)。日本人がケンカをふっかけてきたらこっちも下がりはしないですね。「来るんだったらやるよ」みたいな。それでケンカになったことはありますけど。大人たちからも「朝鮮人だからといって卑下(ひげ)することはない。堂々と生きなさい。朝鮮人という名目でいじめられることがあればやり返しなさい。負けることこそ恥だ」と言われました。

◆日本に望むことは?

 同胞が同胞らしく二十一世紀に生き残っていくためには、教育が不可欠です。だから朝鮮学校にも助成金を出してほしい。私たちも納税者です。税金を払うときは国民扱いして、学校に通うときは外国人扱いでは納得できない。日本人でも就職難のご時勢ですから、同胞も就職がむずかしく、ますます低所得になりつつあります。学校に通うだけで、経済的に相当の負担を背負わされている。朝鮮民族が日本の民族教育を受けると、それ自体が奇形的なわけで悪循環が起こる。私が結婚して子供が生まれたときに、朝鮮学校が残っているだろうか、その時に負担が大きくなっているのではないかと心配です。朝鮮学校は民族のかなめですから。
 私が住んでいる地域は同胞が多く、歩いていて朝鮮人に会わないことはないし、喫茶店に入れば朝鮮語が聞こえてくるような町です。日本人と朝鮮人が共存しています。お互いに頼らなければ生きていけないから、差別している場合じゃないという面もある。そういう共存関係を一世、二世の人たちがつくりだしてくれたんだと思います。
 朝日国交を正常化してほしいですね。そうなると日本にも共和国大使館ができ、その管轄の海外公民になります。今はジプシー状態で、どこの馬の骨か分からない国の移住民という位置づけなんです。共和国にはじめて行ったとき、船のふ頭からはだしで降りました。ジーンとくるものがありました。祖国にはそういう特別の感情をもっています。 


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