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リストラは雇用・地域に打撃

日産の社会的責任は重大

神奈川大学教授 伊藤 喜栄氏に聞く


 日産は十月十八日、東京・村山工場など五工場の閉鎖、二万一千人削減などの大リストラ計画を発表した。国際的大競争に生き残るため、労働者や下請け企業、地域経済を犠牲にする横暴は、断じて許されない。まして、日産など大企業は、国、自治体から税制面などでさまざまな優遇政策を受けており、その社会的責任は重大である。日産の大リストラについて、伊藤喜栄・神奈川大学教授に聞いた。


責任感が乏しい日産

 日産が五工場閉鎖、二万一千人削減などというリストラ策を発表したが、その社会的責任は大きい。だが、日産にはそういう意識は少ないのではないか。
 閉鎖予定という村山工場のある武蔵村山市は、市としては日産の企業城下町だと思っているかもしれないが、日産は広い首都圏で育った企業でもあり、そういう意識は乏しいのではないか。
 トヨタの豊田とか旭化成の延岡、日立の日立などは非常に「企業城下町」ということがはっきりしていて、メーカーも自治体を利用しつつも、それらしいつきあい方をしてきている。機械・金属・プラスチックその他の下請け企業や、自分のところから分離独立した関連企業に対しても、加工賃をたたきもするが、逆にその存立を育てている面もある。トヨタなどは、合理化やコスト削減などについて「こうやったらよい」とアドバイスをしながら、系列自体は切らずに、親企業の複数化を勧めるなどの指導をしたりしてきている。今回の合理化計画をみると、下請け関連産業に対する接し方は、トヨタとはどうも異なるようだ。
 要するに日産にとっては、武蔵村山も座間も、あちこちに工場を配置した場所のうちの「ワン・オブ・ゼム」にすぎない。だから、よい意味でも悪い意味でも武蔵村山を「自分たちの町」という意識はないし、地域経済についてそれほど責任を感じることもないのではないか。日産の経営権を事実上握っているルノーも、下請け、孫請けなどを含めてトータルにシステムを立て直すなどという発想は乏しいようだ。
 しかも、日産をはじめ日本の経営者はエリート社員のゴールとしてのサラリーマン社長が多い。ヨーロッパ、とくにフランスではまだオーナー社長が多いときいているが、オーナーはよくも悪しくも「自分の会社」という意識があるし、そのために自分の会社に対する思い入れが強いのでは。日産の経営者はこの点、いかがであろうか。

地域経済の再生は可能

 もちろん、労働者の雇用は保証されなければならない。それが完全であることが望ましいが、たとえそれが困難であるとしても、可能な限りリストラ対策を自前で行うべきだ。そのためには、不要不急の資産の売却益の一部をこの対策費に当てるべきだし、場合によっては、なお巨額と言われている内部留保の運用についても再検討すべきだ。
 例えば、下請けシステムの再構築や労働者の再教育といったことだ。また、工場の跡地についても、地元で使いやすいような形で処分すべきである。
 こうして、配転を好まない労働者や取り残された下請け企業に仕事を保証し、地域経済の破たんを少なくすることが、責任の取り方の一つだろう。
 この場合、村山工場の跡地利用だが、高齢化する首都圏人口の受け皿をつくるという方法がある。
 先端的な老人福祉センターなどをつくり、社会福祉に伴う技術開発を起こす。福祉施設や関連機器には自動車で培ったハイテクが生きるし、世界に通じるモノがつくれるはずだ。しかも、これらは大量生産に向かず、ほとんどがオーダーメイドなので、小回りの利く中小企業に向いている。
 また、東京圏では少ないグリーンベルトにするという方法もある。日本では、戦後、郊外をどんどん住宅地にしてしまった。この際、緑地に戻すことを考えてはどうか。
 日産の工場が撤退した座間は、土地を日産がもったままで、いまだに活性化できていない。また、英国の製鉄の町だったシェフィールドでも、雇用削減でゴーストタウン化しているし、繁栄していると言われる米国にもピッツバーグをはじめ同様の例は少なくない。こうしたシステムの変更で、最低限、社会問題・都市問題が表面化しないようにするのは国や自治体の政策の課題で、政治の力の問題だ。

政府にも大きな責任がある

 今回の事態には、政府にも責任がある。
 日産はもともと国策会社で、戦後も通産省の指導で赤字だったプリンス自動車を合併したり、サッチャー政権を助けるため、英国進出をしてきた。日産はある意味で、政府の通産政策を率先してきた「優等生」だった。それが逆に、経営悪化の一因になった面もある。
 だから政府や自治体は、日産のリストラで影響を受ける下請けが生き残れるように、人、技術、カネ、組織の問題で援助し、道筋をつけるべきだ。予算でも特別枠などをつけるべきだ。ただし、そのような手段を講じたとしても状況は依然として厳しいことを、各方面とも自覚すべきであろう。


いとう きえい

 1931年生まれ。54年名古屋大学文学部卒。同大学院博士課程中退。金沢大学助教
授、慶應義塾大学教授を経て現職。専門は経済地理、地域システム論。著書に「現代世界
の地域システム」(共著、大明堂)など。


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