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「米国型」経済は格差を広げる

明海大学客員教授・宮下 忠安 氏に聞く


 政府の宣伝によって、日本は格差の少ない豊かな国と言われてきたが、この十年ほどに格差は急速に拡大した。しかも、不況とリストラ攻撃によって多くの労働者が職を失い、中小商工業者はつぶされている。その上、支配層は米国型の「自己責任」「弱肉強食」の論理を押しつけ、ひとにぎりの大企業・大金持ちを優遇し、ますます格差を拡大しようとしている。わが国における経済格差などについて、宮下忠安・明海大学客員教授に聞いた。


 日本ではずっと、国民全体が中産階級だとか、豊かだとかいわれ、格差のない平等な社会が実現されていると思われてきた。完全雇用・年功序列で、みながほどほどに生きている中、格差の問題について考えないでこれた。資産格差についても、政府の「持ち家制度」宣伝で、ローンであれ何であれマイホームをもてたということで、ほとんど目が向かなかった。
 しかし、「格差がない」という見方は、きちんとした分析がないまま、政府や一部学者によって流布されてきたのが実際だ。それが橘木俊詔氏の著書「日本の経済格差」(岩波新書)によって、日本に格差が根強くあり、将来の方向も暗いという指摘がされ、みなが少し目が覚めた。
 実際、国民の生活実態はそんなものではなかった。所得の格差や男女の賃金格差など、詳細に見れば、非常に広い分野に格差がある。資産では、生まれながらに格差を背負わされている。土地価格がずっと高騰してきたバブル前を考えれば、それはもう、追いつけない格差だった。こういう事実について、マイホームというもので帳消しにされてきた。
 実際、米国ほどではないが、日本も所得分布による格差は相当大きくなっている。資産格差も同様だ。

政府には格差是正政策がない

 そもそも、政府は戦後、格差を解消しようとしてきたか疑問だ。高度成長の中で所得が上がったり、ある程度資産を獲得できるという条件の中で、国民が正しく見る目を失ってきていたのだ。その中でも、実は格差は拡大し続けてきたのではないか。
 戦後直後は、シャウプ税制で富裕税をつくり、富裕層から税を取ろうとしたが、反対があってつぶされた。また、七三年の石油ショックの時、一方には貯蓄をものすごく増やした人びとがいるのに、トイレットペーパーに困る庶民を放置した。このことを考えてみても、格差を政策的に小さくしようという努力は、ほとんどなかった。
 年金や社会保障制度による所得再配分で格差を小さくするというのも、七二年の「国民皆保険・皆年金」まで実現されていなかった。それも、恩給や厚生年金の上に国民年金を乗せただけで、真に国民生活を考えてのものではない。したがって、長い間に格差が広がってきている。市場経済はもともと格差を前提にしているもので、それなしには成り立たないものだ。
 「日本人の貯蓄は平均千三百六十六万円」といわれるが、一般の人は「俺はそんなにないよ」と言う。それは当たり前で、あくまで平均だ。実は平均以下が七割いる。全体の中央値(数値の多い順に並べた時、ちょうど中央に当たる値)は八百八十万円で、五百万円の層が一番多い。平均値だけを国民に知らせることは、実際には格差隠しだ。所得全体が増えるだけでは、格差がなくみなが幸せになるわけではない。
 最近のように米国型経済がスタンダードだとなると、不況時には労働者が真っ先にクビを切られる。

「自己責任」は貧困層を増やす

 所得があっても格差が開いているのに、クビになればなおさらだ。賃金の問題についても、米国流の能力主義で格差をつけるのが当たり前という考えが持ち込まれている。日本の労働者も何を迷っているのか、「能力主義は結構」と言わんばかりだ。本当にそれでみながよいのかと問うてみるべきだ。
 しかも日本では、中高年がリストラされたら、その再雇用の市場がない。雇用保険を使っての職業訓練とかも行われているが、本当に効果的だろうか。低成長下でセーフティーネットが薄くなることは問題だ。
 最近の保険や年金の「改正」議論は、米国流の個人主義で「貧乏人は貧乏でよい。金持ちがよい医療を受けられるのは能力があるからだ」という社会をつくろうというものだ。「401k」などのように、自分で投資先を決め、将来損失が出て年金がなくなっても仕方がない、というような考え方が根本にある。
 すべてのことが「自己責任」といわれるが、個人の能力は限られている。だから、米国では格差が異常に拡大しているのであって、自己責任で全員が立派な生活をおくれているわけではない。そういう点でいうと、不十分なものとはいえ、せっかくつくりあげてきた、ヨーロッパ的な共同社会・相互扶助の仕組みをつぶしてしまっていいものかどうかが問われている。もしこれが改悪されたら、格差拡大は明白だ。

「相続税減税」の本質は金持ち優遇

 資産格差があるのに、政府は相続税の大幅減税を打ち出している。
 相続税減税で中小企業や自営業の継続性を維持したいといっているが、本当だろうか。中小企業や農業がつぶれているのは、税金が高いからではなく、政府の産業政策の間違いによるものだ。それを減税で「何とかしよう」というのは間違いで、ますます、生まれたときからの格差を温存させる政策だ。土地持ちや資産持ちは「労せずせしめる」ということになる。
 所得再配分の機能を財政を通じてきちんとすることを基本に据えないと、格差解消にはならない。税金でいえば累進課税だ。しかし、相続税減税や消費税アップで財政をまかなおうとすると、再配分にはならず、ますます大企業と大金持ちが優遇される社会になる。
 自己責任をいうなら、政府はいらない。国民の生命や安定した暮らしをきちんと守らない政府は、政府としての責任を果たしているとはいえない。憲法の生存権の否定だ。


みやした ただやす
 1930年生まれ。中央大学法学部卒。56年より参議院予算委員会調査室勤務。予算室長などを経て、93年退職。流通科学大学教授を経て、明海大学客員教授、東日本国際大学講師。著書に「財政システムの改革」(日本経済新聞社、共著)など。


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