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ユーゴ空爆は内政干渉、侵略だ

千葉大学教授・岩田昌征氏に聞く




 北大西洋条約機構(NATO)軍によるユーゴ空爆がエスカレートしている。空爆の主導権を握る米国は、地上軍の派遣、ミロシェビッチ政権打倒を画策している。欧州各国でも抗議行動が広がり、米欧の足並みの乱れも表面化している。空爆に「理解」を示す日本政府の対米追ずいぶりがあらためて浮き彫りにされた。長年、ユーゴの多民族戦争を研究し、四月十二日にユーゴから帰国したばかりの千葉大学教授・岩田昌征氏に聞いた。


―NATOによるユーゴ空爆が行われていますが

岩田 NATO軍による内政干渉、侵略だと思う。一九六八年にワルシャワ条約機構がチェコへ軍事侵略を行った。その時は、社会主義の原則への脅威がある場合、ソ連と社会主義諸国は軍隊を派遣して介入する権利があるという考え方、ブレジネフ・ドクトリンだった。今回の場合もそれと基本的に同じで、米国が理解した民主主義や人権の原理に対する深刻な脅威がある場合は、米国は軍隊を派遣する権利がある、という論理、クリントン・ドクトリンだ。

 違いもある。一つは、ワルシャワ条約機構の場合は、チェコも加盟していたので、ある意味では内部の問題だとも言えた。もう一つの違いはあのときは戦車を送り込んだが、今回NATOは、空の軍隊を送り込んだ。当時は、プラハの市民と戦車兵の間には鋭いが、人間的交流があったが、今回ベオグラード市民と戦闘機・爆撃機の間には交流はありえないわけだから、クリントン・ドクトリンはブレジネフ・ドクトリンのテクノクラート版でしょう。

干渉で民族対立が深刻に

―外部からの干渉で民族間の対立が解決されるでしょうか

岩田 対立を一時的に押さえつけることはできるが、どこかでより鋭い形で爆発する。コソボで仮に米軍とコソボ解放軍が軍事的に勝利した場合、八割のアルバニア人とそれ以外のセルビア人や他の諸民族との間に、新たなより深刻な抑圧関係が生まれてくるのは必然だと思う。

 一九七四年から八九年までチトー大統領制定憲法のもと、コソボ自治州は、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア、セルビアの各連邦構成共和国にほとんど匹敵する権限をもっていた。チトーが亡くなった後の輪番制で、コソボ代表者がユーゴ全体の大統領にもなった。その過程で、少数派セルビア人と多数派アルバニア人との争いでセルビア人が、十年の間にコソボ・メトヒアから追い出されていく現実があった。

 そこでミロシェビッチを先頭にするセルビア本州が前面に出てくれば、セルビア本州とコソボを合体した地域にかんしてはセルビア人が多数派になるから、そこで少数派の権利問題が鋭く生じてきた。そういう複雑な問題に対して、大量空爆で片方の力を弱めるというだけで問題は解決しない。

 日本ではきわめて情緒的な理解が広まっている。朝日新聞社説では「ユーゴのミロシェビッチ政権によってアルバニア系住民が過酷な弾圧を受けている。ナチスの過去をもつドイツにはとりわけ道義的責任が重いという考え方だ」と軍事干渉に参加したドイツに理解を示した。

 出来事を時系列的に配置して考えればこういう議論は成り立たない。一九九五年にデイトンが終わって、ボスニア・ヘルツェゴビナで一応平和が達成された。アルバニア人が独立を求めることは、民族が多数派だから理解はできる。その時に、「時間はかかっても実質的なシステムづくりをしていこう」というのと「そんな時間はかけられない。武力闘争をしていこう」という二つのグループがあった。武力闘争派の人たちは、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争の時にクロアチア人やムスリム人の側にたって、セルビア人軍と三年以上にわたって戦闘を交えていた。その経験をしてふるさとに帰ってきて、新しく軍事独立路線を実行し始めた。セルビア治安部隊、ユーゴ軍は当然対抗措置をとる。

 これはどう考えても、五十年前ドイツでユダヤ人が悲惨な目にあったことと同じには考えられない。

 当時、ユダヤ人がドイツ国内で解放軍をつくって軍事独立路線をとってドイツから分離しようとしたわけではないのに弾圧されたのだ。

 こういう議論が「民主的に」行われている。民主主義は自己の運命を決定する権利を保障するものであって、他者の運命を決定する権利を保障するものではない。

背景に米の主導権保持

―空爆のイニシアチブをとっている米国の狙いは何でしょうか

岩田 米国の論理に一貫性があるのか。ポル・ポトのカンボジア大量虐殺後のベトナムによる軍事介入を侵略として非難したのは米国でした。「民主主義社会は気まぐれだ」としか言いようがない面がある。

 もう一つ、米国には、欧州統合との関係でイニシアチブを保持するという目的がある。

 一九九○年からユーゴ社会主義体制の崩壊が始まって、九一年からユーゴの多民族戦争がスロベニア、クロアチアを契機に始まった。あのときのイニシアチブは米国ではなくて、バチカン、オーストリア、ドイツの保守派だ。彼らがああいう介入をやって、スロベニア、クロアチアの独立を達成した。

 ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一という大きな流れの中で、民族のエネルギーがわっと出た。ユーゴを維持するという米国の意向に反して解体をやった。それに対する米国によるドイツからのイニシアチブ奪還がボスニア・ヘルツェゴビナだと思う。そしてデイトン合意になった。

 その延長上に今回のコソボ空爆もある。ヨーロッパは、わざわざイスラム教のアルバニア人に味方して、カトリック・プロテスタントではないにしても、同じキリスト教のセルビア人、およびそれにつながるロシア人と将来深刻な問題になるようなことをする理由はない。しかし米国からすれば、戦後五十年にぎっていた欧州外交上のイニシアチブが、一時期みごとに無にされたからもう一回確立しなければならかった。

 さらにいえばNATOへのチェコ、ポーランド、ハンガリーの加入でもハンガリー加入はNATOでのドイツの重みを重くするものである。それに対する押さえがチェコとポーランドの加入だ。あれは単にNATOの対ロシアへの前方展開というだけでなく、NATOに親米のポーランドを加盟させることでドイツへの抑えとするものだ。

日本は米国依存をやめよ

―日本政府は空爆に「理解」を示しましたが

岩田 世界はみんなイメージ思考になっている。イメージ思考で出来事の時間的順序を無視して、さまざまな衝撃的画像を配列して何か判断した気持ちになる。事実関係は空爆が先にあり、次に空爆によって引き出された解放軍と連邦軍の闘争の激化があり、現在の大量難民の流出がある。この時系列を無視して画像を出すと、全く逆の判断をする。

 日本は、世界が置かれている現実を分かっていない。日本のマスコミは米国がつくった情報を流すことで、商売が成り立っている。コソボで一月の末に二、三十人のアルバニア人が虐殺された一事実が多面的に繰り返し報道された。その前にセルビア人が虐殺されて、焼却場で焼かれたなんていうのは誰も知らない。

 日本政府、日本社会は、米国依存をやめて、自前の知的機構、情報装置をつくるべきである。


いわた まさゆき

 一九三八年生まれ。北大スラブ研究センター教授。千葉大学院社会科学研究科科長をへて現職に至る。旧ユーゴスラビア多民族戦争を研究。主著に『凡人達の社会主義』(ちくま書房)、『ユーゴスラビアー抗争する文明と衝突する歴史ー』(NTT出版)など。


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